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その233
奥方のアナベラ・ロッシュは、神秘的な見かけによらず話し好きで、よく笑った。 彼女が明るいので、最初は緊張していたジリアンもすぐ肩の力を抜き、目的地に着くまで馬車の中は賑わった。
といっても、重要な会話は交わされなかった。 ジリアンの複雑な事情は、夫人には知らされておらず、アナベラはジリアンをごく普通の軍人の若奥さんだと思っていた。
だが、髭のよく似合うロッシュ中佐は、何もかも心得ているようだった。 ポーツマスの西区域に借りた屋敷に到着して、アナベラ夫人が使用人に夕食の献立を命じるため席を外した僅かな時間に、ジリアンを客間の暖炉近くに座らせて、そっと耳打ちした。
「表向きには、あなたは体が弱いということになっています。 ですから、気の毒ながら外出は控えていただきますよ。 デントン・ブレア少佐の見舞いも、当面は諦めてください」
驚いて、ジリアンは腰を浮かせかけた。
「表に出ないほうがいいのはよくわかります。 ただ、マークのお見舞いだけは……」
「どうも、それが一番危険なようなのです」
中佐は顔を曇らせた。
「彼に聞いたところによると、フランスで襲撃されたとき、暗殺者は英語で罵り言葉を吐いたそうです。 ああいう言葉はとっさに出るものですから、おそらく犯人はイギリスから来た者でしょう。 戦争関係のスパイとは考えにくい」
ジリアンは凍りついた。
夕食はおいしかった。
だがジリアンは、馬車での彼女とは別人のように口数が減り、どこか思いつめた表情で、少しずつ料理を口に運んでいた。
終いに、アナベラ夫人は心配になって、小声で問いかけた。
「少し顔色が悪いわ。 船旅の疲れが、今ごろになって出てきたんでしょうね?」
ジリアンは我に返り、笑顔を作った。
「そうかもしれません。 デザートは遠慮して、早めに休ませていただきますわ」
「そうね、私もクリスが生まれる前はよく寝たものよ。 あまり寝ている時間が長いから、ベッドにくっついてしまうんじゃないかなんて、夫が言っていたの」
クリスとは夫妻の一人息子で、今は見習い士官として軍艦に乗り組んでいるという。 母親に似た気品ある顔立ちの肖像画が、客間に大事そうに飾られていた。
ジリアンが席を立つと、中佐も礼儀正しく立ち上がり、食事室の戸口までエスコートしてくれた。
「ゆっくり休んでください。 うちは社交的ではないので朝は早いが、気にしないで寝坊していいですよ」
「ありがとうございます。 いろいろお世話になって」
感謝するジリアンの腕を取ったまま、中佐は声を落として素早く囁いた。
「マークに知らせたいことがあるなら、手紙を届けますよ」
「ほんとですか? じゃ、明日までに書きます」
ジリアンは声を弾ませた。
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