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手を伸ばせば その228


 やがて重い靴音が響いて、ドアが開いた。 サンダースが部屋を出ていき、ガチャガチャと錠前を下ろして、足早に廊下を遠ざかっていった。


 ジョックは用心深く首を伸ばして、灯りが次第に小さくなり、角を曲がって消えるまで見守った。
 それから窓に首を出して、中を覗いた。 蝋燭をつけておく経済的余裕もないのだろう。 室内はほぼ暗闇で、ミリーがパイを噛みながら嘆き悲しむ低い声だけが伝わってきた。
「なんで、なんでこの私が、人さらいと間違われるの! そんな大それたこと、するわけないじゃない! かわいいウィルやジムと、もう逢えないかもしれない……どうしよう。 ああ、坊ちゃま、坊ちゃま! 私たち、いったいどうなるんでしょう」
 彼女は縛られていないらしい。 やがて瓶を壁に投げつける鋭い音が聞こえ、ジョックはびくっとした。
 それから、ミリーはワッと泣き出した。 ジョックはできるだけ刺激しないように、そっと窓ガラスを指で叩いた。


 すぐに泣き声が止んだ。 耳を澄ませている様子だ。 ジョックはもう一度窓を叩いて、反応を待った。
「誰?」
 ミリーが声を震わせ、囁きかけた。 すかさず、ジョックは同じように押さえた声で応じた。
「ジョック・マクタヴィッシュ。 覚えているかい? 君を料理人に雇いたいと誘いに来た男だ」
 ミリーの息が速まった。
「ええ、覚えてるわ。 こんな所で何を……」
「助けに来たんだ。 この窓にも鍵がかかってるんだろう?」
「かかってるわ」
 元気のなかった声に、希望が芽生えた。 ミリーは立ち上がって窓に近づくと、抱いた赤ん坊を左腕に移して、空いた右手で、外からこじ開けようとするジョックを手伝った。
 古い窓は、錠前も錆びていた。 やがて斜めに隙間が開き、ベリッという鈍い音と共に、埃ですすけた窓が持ち上がった。
 ほっとして、ジョックは腕を差し出した。
「まず赤ん坊を渡してくれ。 その後、君を引っ張り出してやる。 その子は泣かないだろうな」
「だいじょうぶ。 お乳を飲ませたばかりだし、人見知りしない赤ちゃんなの」
「よし」
 抱き取った赤ん坊は、予想した絹のふわふわした感触がなく、分厚いウールにくるまれていた。 暖房のない部屋で、防寒用に巻きつけたのだろう。
 ジョックはマフラーを取って地面に敷き、静かな赤ん坊を置いて、すぐにミリーを出す作業に取りかかった。


 二分も経たずに、彼らはボロ屋敷を脱出し、糸のように細い月が見守っている夜の野原を歩いていた。 丘を降り、林を突っ切る近道を知っていると、ミリーが言ったからだ。 彼女は一分一秒でも早く、夫と子供の待つ自宅に戻りたがっていた。
 なだらかな斜面を下りながら、ジョックはこれまでの経過を説明した。
「ややっこしい話だがな。 ともかく、俺達は二人ともはめられたんだよ。 貴族どもの悪だくみに使われたんだ」
 ミリーは飲み込みがよく、跡継ぎの赤ん坊が親戚にとって邪魔な存在だということを、すぐ理解した。
「うちへ帰ってジムに会ったら、すぐお屋敷に飛んでいくわ。 ジムが荷車で連れていってくれるでしょう」
 再会の喜びに胸を躍らせ、ミリーの眼は冷たい夜風に負けず輝いていた。








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