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表紙

手を伸ばせば その224


 息子ジェラルドが六歳の誕生日を無事迎え、丈夫な大人に成長しそうだとわかった後で、皮肉な事実がキャロラインの耳に届いた。
 それは、デントン・ブレア本家で、男の子が誕生したという知らせだった。
 タイラーとミランダが結婚して十年が過ぎていた。 それまで二度流産を繰り返し、今度もたぶん駄目だろうと噂されていたのが、大逆転で跡継ぎが生まれてしまったのだ。


 ここまで貧しさを我慢し、密かな野望を育てつづけてきたキャロラインには、耐えがたい展開だった。
 彼女が手をよじりながら、そう広くない屋敷の中を行ったり来たりしているところを、ジョックは何度も目撃している。 その目は血走り、小さく震える口元は、今にも泡を吹きそうな按配〔あんばい〕だったという。
 やがて、キャロラインは決断した。 現代のマクベス夫人になることを。 正当な跡継ぎを闇に葬って、自らの息子を貴族にする地獄の道を、彼女は選んだ。


 当時のジョックは、すらりとした二十四歳のロンドンっ子だった。 金色と栗色が入り交じった縮れっ毛と、くりくりした青い眼、それに明るい気さくな態度が、周りに好かれていた。
 特に、女子には人気で、酒場や食堂では、よく給仕係が量を多めに出してくれたという。
(聞いていたフランシスも、これは自慢ではなく本当だろうと思った。 傷を負った今の顔でさえ、なかなか魅力的だからだ)


 そのいなせな容姿が、キャロラインの計画にはまった。
 ある日、ジョックはエセックスへ使いに行かされた。 ミッドワーロック村に住むミリー・パターソンという女に会って、料理番として引き抜いてくれ、というキャロラインの言いつけだった。
「ミートローフとマフィン作りがとても上手な人なの。 今は親戚の家で働いているから、気まずくならないようにこっそり呼び出して、誘ってみて。 給料を二倍にすると言ってね」
 ジョックはその言葉を信じた。 別に疑う理由はない。 エセックスはハートフォードシャーの隣で、馬車で二時間ほどで行けた。


 コールチェスターに里帰りするビンガムという男が、ジョックを乗せていってくれた。 煉瓦職人ジム・パターソンの家を見張っていると、やがて妻のミリーが夕食の支度に戻ってきた。 それで、ジョックは十五分だけ時間をくれと言って誘い出し、川べりで引き抜きの話を持ちかけた。


「そのとき、赤いスカーフをしてたかい?」
 フランシスが尋ねると、ジョックは遠い目になって、ちょっと考えた。
「さあ、どうでしたかねえ。 してたかもしれませんね。 あの年は冬が寒かったから」
 フランシスも、少しの間思いにふけった。
 おしゃれな赤いバンダナを巻いたハンサムな若者──ミリーを誘惑したと思われていたその美男は、ジョックだったのだ。 何も知らず、言葉巧みに利用されただけの。






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