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手を伸ばせば その209


 夢中で愛を語り合っているうちに、真冬の弱々しい太陽がのろのろ上がってきた。
 お互いの顔立ちがはっきり見えてきたので、パーシーは我に返って急ぎ出した。
「まずい。 ナサニエルさんは了解済みだが、他の家族や使用人には、俺のいることが知られないほうがいいんだ」
 それではと、ジリアンも手伝って、あっという間に着替えが終わった。


 最後にごわごわした上着に手を通しながら、パーシーは前かがみになって、力強くジリアンにキスした。
「窓に油を差しておいてくれ。 じゃ、また今夜」
「ええ、待ってるわ」
 すぐ会えるとわかっていても離れ難く、二度、三度と口づけを交わした後、パーシーはようやく窓を乗り越えて姿を消した。




 それから十日間、魔法のような日々が続いた。
 昼の間、ジリアンはごく普通の生活を送った。 ナサニエルの家族と朝食を取り、午前中は主にメアリ夫人の手伝いをして過ごした。
 ほとんど着の身着のままで逃げてきたジリアンに、メアリは家政婦のジェマイマと協力して次々と服を作ってくれた。 針を動かすスピードと正確さを目の当たりにして、ジリアンはただ感心するばかりだった。
 仕立ての途中でジリアンの背中に服を当て、大きさを確かめながら、メアリは楽しげに語った。
「ずっと娘が欲しかったのよ。 縫い物も編物も好きだから、こんな風に服を作って着せたかった。 時間があれば刺繍を入れたいんだけど、今はまず、服の数を増やすことが大事だから」
「お世話になってばかりで」
 ジリアンが改まって言うと、メアリ夫人は大きく首を振った。
「その分以上に働いてくれているじゃない? 正直言って、あなたに料理や掃除ができるなんて思わなかった。 おまけに、どちらも上手だし」
「本宅の料理人と前から仲良しなんです。 掃除は、体を動かすのが好きなだけで」
「あなたのスフレや羊肉のパイは絶品だわ。 お別れした後で、ナサニエルとジェムがさぞあの味わいを懐かしがるでしょうね」
「お気に召したなら、レシピを書きます」
「まあ! そうしてもらえたら嬉しいわ」
 メアリは少女のように手を打ち合わせて喜んだ。


 ジェムとは、午後に時々散歩した。 乗馬に行くこともあった。
 彼は一見、呑気な田舎のお坊ちゃん風だが、明るくてお人よしな外見の下に、鋭い知性を隠し持っていた。
 あの一筋縄ではいかないナサニエルの一人息子なのだから、当然といえば当然だ。 パーシーには秘密を誓わされているけれど、実はジェムはすべてを知って黙っているのではないかと、ジリアンは感じていた。







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