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手を伸ばせば その206


 外は相変わらず凍った風が吹き荒れていた。
 だが、ジリアンは恋人の腕の中で、身も心も温かく、満ち足りていた。
「もう今度の任務は終わったの?」
「いや」
 パーシーの声が、少しくぐもった。
「特別に抜けてきたんだ。 報告業務に就かされて」
「夢のようだわ。 去年の末、急いで艦に戻ったばかりだもの」
 そこでジリアンは心配になった。 始終パーシーのことを想い続けていたために、ひょっとして夢の中で幻を見ているのではないか。
 そう考えると胸が絞めつけられたようになって、ジリアンは大急ぎでパーシーの顔に手を触れ、ゆるやかにうねった髪に指を差し入れた。
「ねえ、夢じゃないわよね?」
 パーシーは彼女の肩に頬ずりして、そのまま頭をもたせかけた。
「夢でたまるか。 俺達をここで逢わせるために、いろんな力が集まってるんだ」
「ええ……」
 ジリアンの相槌は、揺らいで消えた。 パーシーは留守中のことを何も訊かない。 この隠れ家に迷わずたどりついたのは、確かな情報を手に入れている証拠なのだが……。
 ジリアンはいつでも率直だった。 今度も一番気がかりなことを、思い切って自分から打ち明けた。
「逢えたのは奇跡のように思えるの。 だけど取り消せないことが起きて……。
 ジェラルドと母の連合軍から逃げるために、私……私、スコットランドに来たすぐ後、マークと式を挙げたの」


 パーシーは静かに呼吸していた。
 ぴたりとジリアンの腕に押しつけられた広い胸で、鼓動はわずかに早まったが、それだけだった。
 やがて、彼は深く息を吸い込むと、重い口を開いた。
「確かに驚いたよ。 最初にあの男の口から聞かされたときには、本気で首を絞めかけた」
 あの男、という彼の口調には、まぎれもない苦々しさがにじんでいた。
「あいつは確かに頭が切れるし、度胸もいい。 だが、危険だ。 人をチェスの駒のように動かしたがる。
 軍人として出世するには、いい性格かもしれないけどな」
「マークは全部言った? 彼は私をどうするつもりですって?」
 不意にパーシーはジリアンの頭を荒っぽくかかえこみ、自分の胸に押しつけた。
「どうにもしないさ。 君は俺だけの大切なチビさんだ」
「でも、このままではどうなるのか……」
「心配しないで。 俺達はシーザーになったんだ。 もうルビコン河を渡ってしまった。 引き返せない。 後は勝つだけだ」
「勝てる?」
「君が俺を信じてくれたら」
 緊張で輝きを増した眼を上げて、ジリアンは尋ねた。
「秘密の作戦なのね?」
 パーシーの顔が、辛そうに歪んだ。
「君に話したいんだ。 もうだいぶ前から打ち明けたかった。 君に相談したいと、ずっと思っていたさ。
 でも、俺だけの問題じゃないんだ。 他の人たちの将来もかかっていて、責任が重過ぎる。 この重荷を、君にまで背負わせたくない」
「わかったわ」
 ジリアンは、静かに言った。 彼女は、パーシーを心から信頼していた。 初めて逢った十代半ばの頃から、パーシーは荒っぽく見えて深い思いやりがあり、真面目な兄や寂しがりの弟たちの立場をいつも考えて行動していた。 たとえそれで自分が不利になっても、言い訳ひとつしなかった。
 そんなパーシーだからこそ、ここまで強く愛するようになったのだ。 彼のために、ジリアンは宙に浮いたような不安定な今の生活に耐えようと決めた。
「あなたを信じる。 未来には何が起きるかわからない。 だからあなたがたとえ成功できなくても、私を連れていって。 足手まといにはならないし、絶対後悔しないから、それだけは約束して!」
 パーシーの息が大きく乱れた。
「ジリー ……! 君は最高だ!」
 お互いすがりつくようにして抱き合ったとき、ジリアンは彼の低い叫びに涙が混じっていたような気がした。







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