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手を伸ばせば その205


 身震いするような心地よさだった。 ジリアンはうっとりと目を閉じて、キスの甘さを心ゆくまで味わった。
 やがて、パーシーはしぶしぶ顔を少し離したが、視線はむさぼるようにジリアンを見つめたままでいた。
「眼がきらきらしてる」
「あなたの顔は見えないわ。 頭の周りに、髪がメデューサみたいにぼさぼさ突っ立ってる」
 二人は声を忍ばせて笑った。 あまりに幸せで、わけがなくても大声で笑い合える気分だった。
 ジリアンは、パーシーの腕を伝って手首まで指をすべらせ、ぎゅっと握りしめた。
「会いたかった。 百万回は思ったわ。 会いたい、会いたいって」
「俺は毎秒。 寝てる間も」
「どんな夢を見たか、想像できるわよ」
 とたんにパーシーは、掴まれていない右腕でジリアンを引き寄せ、首筋に、肩に、激しくキスを浴びせた。
「夢の通りにしてもいいか?」


 一挙に鼓動が高まって、耳の奥に唸りが押し寄せてきた。 だが、ジリアンはためらわなかった。
 ヨーロッパ社交界は、いくら華やかでも彼女には退屈で、哀しくさえあったが、一つだけ学んだことがあった。 それは、どんな貴公子と踊っても、ふざけてパーシーと叩き合っていたときの半分も、いや十分の一も楽しくないという事実だった。
 パーシーといるのは幸福だった。 彼は故郷の風と野原の匂いがした。 うっそうとした夏木立、石切り場で燃やした焚き火の煙、睫毛に留まって揺れる粉雪、そして丘の斜面を駆け上がって咲く黄金色の桜草。 思い出の四季は、すべてパーシーと結びついていた。
「いいわ、あなたなら」
 声を詰まらせるようにして、ジリアンは低く答えた。


 ジリアンの肩をしっかり抱えたまま、パーシーはせっかちに靴を片方ずつ取った。 鈍い小さな音が床に響き、ついで上着のボタンを外すカサカサという衣擦れが聞こえた。
 やがて、指がジリアンの夜着の襟元にかかり、リボンを引いてほどいた。 ジリアンは震える息を吸い込むと、パーシーの胸に手を置いた。
 その手は、素肌に触れた。 なめらかで固く、引き締まっている。 徐々に撫でおろしていくうちに、胸の下あたりで盛り上がっている傷跡に当たった。
 ジリアンは息を止め、目を見張ってパーシーを激しく見上げた。
「怪我したのね!」
「もうとっくに直った」
「でもここは、心臓のすぐ傍だわ。 ああ、パーシー、なんてこと!」
 パーシーは彼女の手を優しく払いのけて、軽々と抱き上げると膝に乗せた。
「夏にライフル弾がかすめた。 浅手なんだ。 傷口が大きいだけで。 化膿しないですぐ回復したから、軍医が驚いてたよ。 生まれつき丈夫なんだろうって」
「ついていくわ」
「え?」
 驚いて、パーシーは恋人の眼を覗きこんだ。
「何だって?」
「あなたの赴任地についていく。 陸軍軍人の奥さんたちは、そうする人が多いんでしょう?」
「でも、海軍はなかなか……」
「行く!」
 ジリアンはほとんど泣きかけていた。
「あなたが傷ついたとき、傍にいたいの。 家から逃げなくちゃならなくなって、自分の立場がどうなってるのかさえ、よくわからないけど、身分がどうでも、あなたと行きたい。 あなたといたいの!」
 パーシーの全身が、火のように熱くなった。 ジリアンの耳たぶをくわえて、そっと引っ張ると、パーシーは限りなく優しく囁いた。
「おれのチビさん。 大事なチビっ子。 肝っ玉は並みの男よりでっかいけどな、こんなにきゃしゃで柔らかくて、おまけに天使より綺麗なんだ。 知らない外国の港町なんかに置いておけるか」
「私、銃が使えるわ。 自分の身は自分で守るようにする」
「嬉しいよ、そう言ってくれるだけで」
 もうそれ以上有無を言わせず、パーシーはどっと彼女の上にのしかかり、顔中に唇を押し当てた。
「俺だって君を連れていきたい。 ただ、戦場にじゃない。 あと少しだけ待ってくれ。
 そう、たぶん、春が来るまでには」
 春…… 今が春だわ。
 ジリアンは青年の下にすっぽり包まれ、ほとんど見えなくなった。 本当に自分がきゃしゃでかぼそく感じられ、同時に限りなくエネルギーに溢れて無敵になったように思えた。
 私は彼のもの。 そして、彼も私のもの。
「パーシー!」
 彼は動きを止め、短く息をつきながら心配そうに尋ねた。
「痛かった?」
「ううん」
 ジリアンは上半身を起こし、金髪をなびかせながら彼に抱きついた。
「すごく自由になった。 素晴らしいのね、好きな人といるって、こんなに……!」






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