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表紙

手を伸ばせば その201


 午後の四時、もうすっかり暗くなったデナム公爵邸の車寄せに、立派な大型馬車が入ってきた。
 両開きになったアーチ型の扉には、ハバストン侯爵(デントン・ブレア家の最高称号)のライオンと鹿を組み合わせた紋章が誇らしげに光っていた。
 馬車が停まると、御者席と背後の従者席一杯に乗っていた六人の屈強な従者たちが、一斉に飛び降りて、軍の小隊のように列を作り、建物の中へ入っていった。
 オズボーン執事の手配で、彼らは二階に上がり、四本の持ち手のついた輿〔こし〕にジェラルド・デントン・ブレアを載せて、ゆっくりと階段を降りた。 ジェラルドが痛んだのは顎だけのはずだが、まったく歩く気がないらしく、少しでも輿が揺れると全身を硬直させ、四人の担ぎ手を憤怒の目で睨んだ。
 玄関ロビーで見送ったのは、デナム公爵ジェイコブと長男のフランシスだった。 ジュリアの姿はなく、二人の男に冷ややかな視線を浴びせられて、さすがのジェラルドも肩身が狭いらしく、担ぎ手の靴底が一階のフロアにつくまで、階段の足元を見てばかりいた。
 そこでジェラルドは、いったん輿を下ろさせると、前もって書いたらしい手紙を懐から出して、ジェイコブに手渡した。
 受け取って開くと、ジェイコブはすぐ、声に出して読んだ。
「歓待と心づくしの看病を、深く感謝いたします。
 レディ・ジリアンの部屋から不審な物音がしたので、助けに駆けつけたところ、不覚にも賊に不意打ちされて、傷を負わされました。
 この許すまじき悪行には、必ず返礼します。 そして必ずや、レディ・ジリアンを悪の手から救い出す所存です」
 父公爵が無表情に読み終わると、斜め後ろにいたフランシスが、一歩進み出た。
「大怪我をして、お気の毒でした。 顎に力が入らないと、食事だけでなくフェンシングやボクシングも無理でしょう。 妹のことは我々に任せて、お宅で気長に療養なさってください」
 それを聞いたジェラルドは、急いで懐から紙と鉛筆を取り出し、走り書きした。
「レディ・ジリアンの身にどんな危害が及ぼうとも、わたしが変わらぬ思いで両腕を広げてお待ちしていることを、再会の折にお伝えください」
 父と同じように読み上げたフランシスは、顔をしかめるのは何とか思いとどまったが、一瞬だけ上目遣いに天井を見上げた。
「必ず伝えます」
「それでは、一日でも早い回復を」
 デナム公爵の単調な声が、ジェラルドを送り出した。


 六頭立ての巨大馬車が走り去ったのを見届けてから、公爵は自ら玄関の大扉を閉め切った。
「まったく、どこまで厚かましい男だ」
「望みを持たせておいたほうがいいです。 まだジリーが手に入ると思っているうちは、家出の噂を撒き散らさないでしょうから」
「それもそうだ」
 フーッと強い鼻息を吐くと、公爵は思い出し笑いをした。
「あいつ、顎が右にずれてなかったか? 自慢の美貌が台無しだな」
「これから石膏で固めて直すでしょう。 金はいくらでもかけられますからね」
「そうすると物が食えなくなるんじゃないか?」
「水を飲むのも難しいです」
 二人は意地悪な笑いを交わした。
 それから公爵は真面目になり、手を後ろに組んで、分厚い絨毯の上を歩き回りながら考えた。
「ジリアンがヘレンに助けを求めるかもしれないとは?」
 フランシスは首をかしげた。
「いや、それはないでしょう。 駆け落ちでヘレンは立場を悪くしています。 その上、妹の駆け落ちまで助けたと言われないように、ジリーのほうで気を遣うはずです」
「実は、ジュリアの前では言わなかったが」
 公爵がひそひそ声になった。
「ジリアンが消えた後、すぐに海軍に問い合わせて、パーシー・ラムズデイルがどこにいるか確かめた」
「それで?」
 フランシスの性急な問いに、公爵は渋い表情で答えた。
「軍の機密事項だからと教えてもらえなかった。 つまり、彼は任務に就いているんだ。 恋人と駆け落ちできる状況じゃない」
 たちまちフランシスの顔が緊張と不安に包まれた。
「じゃ、ジリーは誰と家出したんですか!」






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