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表紙

手を伸ばせば その190


 さすがにスコットランドの地は、ロンドンからテムズ河口までと比べて距離が遠い。 冬の慌しい夕暮れが濃紺の闇に取って代わられる頃になって、ようやくフォース湾の輪郭が見えてきた。
 途中から吹いてきた強風のおかげで、それでも普段より早く到着できたのだった。 ただ、その風が濃い霧をも運んできていて、ジリアンは重ね着していても、しんしんと足元が冷えた。
 すぐ横に立ったマークは、船が不規則に揺れてもびくともせず、脚を広げてバランスを取っていた。
「ここから西へ三十マイルほど行くと、エディンバラです。 大きくて綺麗な町ですよ」
 姉が駆け落ちして、少しの間住んでいた所だ。 どこか懐かしいような、やりきれないような、複雑な気持ちになった。
「教えてください。 仮に結婚したとして、本当に取り消せるんですね?」
「どうしてもそうしたいのであれば」
 慎重な口調で、マークは答えた。
「ただ、僕ももうすぐ任務で出張するので、戻ってくるまで待っていてください」
「えっ?」
 思わずジリアンが小さな叫び声を上げると、マークはくっくっと笑って、彼女の肩に軽く手を置いた。
「大丈夫です。 生きて帰ってきますよ。 いや、死んでもあなたは未亡人になれて、もう親の命令から解放されますね」
「冗談言ってる場合じゃないです!」
 ジリアンは本気で怒った。
「誰がそんなこと望みますか! あなたは、死ぬより嫌な結婚から私を逃がしてくださった。 これから何が起きても、感謝の思いは変わりません。
 それに私は、あなたという人が好きです。 貴方の妹さんの子爵夫人もベッツィも、皆いい人達で大好き。 彼女たちを支えているあなたがいなくなったら、デントン・ブレアの分家はどうなるんですか? どうか軽口でも、死ぬなんて言わないでください」


 マークは一瞬口をつぐんだ。
 それから明るい笑顔になって、ジリアンの肩から手を外した。
「まあ、これまでと同じ任務を果たすだけですからね。 用心して行動すれば、まず危険はないでしょう」
 話しながら、笑顔は次第に薄れ、決意の表情が代わりに現れた。
「あまり感謝されると気が咎めるので、ここらで言っておきます。 僕があなたを連れ出したのは、助けるためだけじゃない。 これは僕にも得になることなんです。 だから、遠慮なく頼ってください。 決して悪いようにはしません。 いいですね?」
「はい」
 迷いを吹っ切って、ジリアンははっきり頷いた。




 それから四時間後、ジリアンはマークに連れられて、エディンバラ郊外の小さな教会に足を踏み入れた。











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