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手を伸ばせば その184


 ジリアンの胸に、今までなかった僅かな希望がよみがえった。
 背筋をピンと伸ばして、ジリアンは父の顔を熱心に見つめた。
「では、お父様はこの縁談に反対してくださると……」
「まだ決めたわけではない」
 公爵は慎重に言葉を選んだ。
「だが、むざむざ自分の娘を不幸にしたいとも思ってはいない。 うちには充分な資産があるし、おまえは若く、正式なデビューもしていないのだから」
「はい」
 ジリアンは声を弾ませた。




 食事が済むと、公爵は友人と会うために、社交クラブへ出かけた。
 ジリアンは、暖炉にたっぷり火を焚いた暖かい寝室の窓辺に座り、父を乗せた馬車が正門へ遠ざかっていくのを見送った。 その心は、近来なかった暖かさに満ちていた。
 父が味方になってくれた──そう思うたびに、喜びがはじけた。 父の公爵は、冷静な実業家の面も持ち合わせている。 事実を調べて判断を下せば、ジェラルドが婿としてふさわしくないのを確信するはずだ。
 ジリアンは猫のように、窓際の長椅子に体を横たえて伸ばし、目をつぶった。 その耳に、新たな馬車の音が聞こえてきた。
 ジリアンは素早く起き上がって、下を覗いた。 玄関に横付けされたのは、母が愛用している軽くて速度の出る最新式の二頭立て馬車だった。
 今夜はいつもより早い帰宅だ。 たいていは朝が白むまでパーティーや舞踏会に出ているのだが。 今夜は特別に冷えるから、鼻風邪でも引いて、途中で帰ってきたのかもしれない、と、ジリアンは推測した。


 寝る前の祈りを特に念入りに行なった後、ジリアンは明かりを消して、パッとベッドに飛び込んだ。
 すぐ眠れるかと思ったが、睡魔は来てくれない。 意外な父の反応で喜んだ興奮が尾を引いていて、しばらく目が冴えていた。


 一時間後、寝室の扉がそっと押し開けられたとき、ほんのかすかな蝶番の擦れを、ジリアンは鋭く聞き取った。
 ついで、床のきしる音が一度だけ聞こえた。 誰かが忍び足で、こっちへ近づいてきている。 とっさにジリアンは、無言のまま行動に移った。
 まず、枕を取って、目立たないように上掛けの下に引き入れ、寝ているように見せかけた。 それから横に回転してベッドの脇からすべり降りると、なめらかに下へ這いこんで、息を殺した。
 この隠れ方は、子供のときによくやっていたものだった。 長兄のフランシスは、今でこそ優しい兄に変身しているが、子供の頃はコリンやリュシアン並みの悪ガキで、ぐっすり寝入っている妹達を脅かすのが大好きだった。 顔の上に蜘蛛が降ってくるとか、シーツの中に水を入れた洗面器が隠してあって、うっかり乗ると布団がびしょ濡れになり、おねしょした〜! とはやしたてられるとか、三人姉妹にとって兄の休暇は恐怖の日々だったのだ。
 すばしこいジリアンは、誰よりも先に攻撃を防ぐ方法を編み出した。 こうやってベッドの下に隠れて兄の登場を待ち、彼がいたずらしている間に足首を掴むか、場合によっては脛に噛みつく。 不眠症になりかけたマデレーンの代わりに姉のベッドに寝て、兄をこらしめてやったこともあった。



 久しぶりに隠れていると、胸が苦しいほど轟いた。 侵入者が足を運ぶごとに、床がいくらか沈む。 体重のある人間だ。 おそらく男だ!
 ジリアンは手探りでベッドの脚を掴み、体を安定させた。 ここにいることを最後まで気づかれなければいいのだが……
 見つかった時に備えて、思い切り大声で叫べるようにしていたとき、今度は斜め後ろで窓がぎしぎし鳴って、不意に開いた。








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