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手を伸ばせば その183


 グラスを手に取って、今度は一口飲むと、公爵はテーブルの一点に目を据えたまま、ぽつぽつと話し出した。
「ジュリアはイギリスだけでなく、イタリアの社交界でも憧れの的だった。 今でも美人だが、若い頃は神々しいほどの美しさでね。
 掛値なく、男なら誰でも選べる立場だった。 しかし、選ぶのではなく、恋に嵌まり込んでしまった」
 父の苦い口調に、ジリアンは胸を打たれた。 その相手は、父ではなかったのだ……。
「相手はロシアの大公の後継ぎだ。 確かに見栄えはよかったさ。 母親がドイツ系だから、背が高くて姿勢がよく、若駒のように逞しくて活発だった。
 女を口説くのもうまかった。 誰にでも見境なく声をかける奴だったよ。 なのにジュリアは、彼が自分だけを見ていると思った」
 最初の料理が運ばれてきた。 配置が終わると、公爵は手を振って、従僕たちを部屋の奥へ下がらせた。 父と娘の会話が聞こえないように。
「そいつは、ロンドンまでジュリアを追ってきて、駆け落ちを持ちかけた。
 あきれたことに、ジュリアはその気になった。 ところが、奴は決行の夜に仲間と騒いで飲みすぎ、ジュリアの実家へたどり着く寸前に、馬から落ちて首の骨を折った」


 ジリアンは青ざめた。 不意に肉料理の濃厚なソースが味を失い、食欲が失せた。
「じゃ、駆け落ちはなかったのね?」
「できなかった」
 公爵は認めた。 だが表情は苦いままだった。
「ただし、奴の飲み仲間が口をすべらせて、一時は派手な噂になった。 ジュリアの家族が総出でもみ消したがね。
 もっと問題だったのは、ジュリアの気持ちだ。 盛り上がった頂点で、不意に死んでしまったために、奴を愛に殉じた不運な人、理想の恋人に祭りあげてしまったんだ。 実際は、ただの不良なのに」
「不良?」
「そうだ。 彼にはジュリアと結婚する気などまったくなかった。 二人でヨーロッパを遊び歩いて、飽きたら置き去りにするつもりだった。 笑いながら、仲間にそう話している」


 なんてこと。
 ジリアンは、父の疲れた顔を穴があくほど見つめた。
 公爵がなぜ、こんな打ち明け話を唐突にしたか、ジリアンにはわかった。 ジュリアは意識してかそれとも無意識にか、失った恋人と同じタイプの男を見つけては、娘たちの夫に選んでいるのだ。
 自分の見果てぬ夢のために……。
 ジリアンはナプキンを置き、喉にからんだ声で言った。
「その駆け落ちが成功していたら、お母様はひどい幻滅と絶望の中に取り残されたんですね?」
「そうなったと思う。 でもジュリアは認めないだろう。 まだ一度もこの問題について話し合ったことはない。 あまりにもデリケートなことなので」
 公爵の眉間に縦皺が寄った。
「わたしはこれまで、デントン・ブレアとの縁談は悪くないと思っていた。 超のつく名門だし、ジェラルドは退屈だが善良な人間だと判断していたのでね。
 しかしながら、ある筋から情報が入った。 今調べさせているが、もし本当なら、彼の妻になるのは不幸の元だ」








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