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その175
翌日は、がっかりすることが立て続けに起こった。
まず、朝の支度を終えて階段を下りたとき、秘書のレイクが早足で廊下を歩いてくるのと行き会った。
レイクは相変わらず口数少なく、おはようございます、とだけ挨拶した。 だが、すれ違うときに自分の体で隠すようにして、さりげなくジリアンに紙片を渡していった。
明らかに秘密めかしている。 ジリアンは廊下のアルコーヴに置かれた巨大な花瓶の蔭で、急いで紙を開いた。
そこには、走り書きでこうしたためてあった。
『最愛のジリー
急に出動命令が出た。 僕を含め、休暇中の者までみな呼び返されるらしい。 今日会ってから行きたかったが、時間がなくて残念だ。 でも、すぐ帰ってくるから、心配しないでくれ。
君だけのP』
だが、落ち込んでいる暇はなかった。 午前中からジュリアに連れられて、買い物に出なくてはならなかったのだ。
珍しく早朝に起きた母は、娘のために最新流行のドレスを求めて、もっと稀なことに、街のドレスショップへ足を運んだ。
「仕立て屋を家に呼ぶと、縫い上がるまで時間がかかるわ。 店ならサイズ直しだけで、急がせれば翌日にでも着られる」
「なぜそんなにせわしないの、お母様?」
理由は充分承知していて、ジリアンは馬車の中でわざと訊いた。 ジュリアは表情を変えず、目だけ娘に据えて答えた。
「おまえが早く大人になりすぎるからよ」
ジリアンは、一瞬どきっとした。 パーシーと忍び逢い、言い交わしていることを、母は気づいているのだろうか。
ジュリアは、毛皮をあしらったキッドの手袋を、きっちりとはめ直した。
「ヘレンはあれほど評判だったし、マデレーンもまあまあだったから、おまえまで美しくなるとは思わなかった。
でも、イタリアから届いた評判の通り、おまえは目立つ子になったわ。 ただの美人より、ずっと印象的な。
知っていた? バドーリオ子爵がおまえに夢中になって、川遊びのときに誘拐する計画まで立てていたそうよ。 その日はたまたま大雨になったから、おまえは無事だったけれど」
「ばかばかしい。 子爵は冗談を言いふらしていたのよ。 陽気でいつも口から出任せを言う人だから」
「いいえ」
母は鋭く打ち消した。
「おまえがこっちに帰ることになって、子爵はおまえの泊まっていたビーニ邸に何通も手紙をよこしたの。 ビーニの奥方が機転を利かせて、おまえに見せずに焼いてしまったわ。
そうしたら、子爵は返事を貰えなくて世をはかなんで、拳銃自殺を図ったのよ」
ジリアンは、顔色を変えて馬車の座席から腰を浮かせた。
「何ですって!」
「安心しなさい。 死にはしなかったわ。 子爵の友達が気づいてピストルをもぎ取って、弾は逸れて腕に当たったの。 それでも一ヶ月は寝込んだということよ」
「信じられない」
半ば茫然として、ジリアンは呟いた。
「マテオに……子爵に期待を持たせるようなことは、一言も口にした覚えはないわ。 いつも他の人たちとグループになっていて、二人きりにならないようにしていたし」
「恋はハシカよ」
ジュリアは苦々しく言った。
「たまに犠牲になる人間もいる」
「そんなに軽く扱わないで」
ジリアンは反射的に言い返した。 すると、母の表情が僅かに強ばった。
「軽いぐらいが丁度いいのよ。 恋は夢。 でも、結婚は現実なの。 駆け引きといってもいい。 男と女の闘いなのだから、実を取るようにうまく立ち回らなければ駄目よ」
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