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手を伸ばせば その174


 父は政治の寄り合いで、家にはいなかった。 ジリアンは母と別れるとすぐ、二階の自室へ行って、大はしゃぎの小間使いベティに手伝ってもらいながら、普段着に着替えた。
「お帰りなさいませ! ジリアンお嬢様がお留守だと、このお屋敷中が静かすぎて、寂しいほどなんですよ」
「おとなばっかりだものね。 お客様たちも、おじさまおばさまだし」
 それにしても、本当に寒い。 ジリアンは暖炉を見やってびっくりした。 火がつけられたばかりなのだ。
「あら、今日帰るって伝わっていなかった?」
 とたんにベティは肩身が狭そうな表情になった。
「はい……下から元気なお声が聞こえてきて、あわてて暖炉に薪をくべたんです」
 ジリアンの唇が、ぴりっと引きつれた。 母ときたら、自分で無理に呼び戻しておきながら、最小限の出迎え準備も忘れていたのだ。
 気を取り直して、ジリアンはしょげるベティの腕を軽く叩いた。
「そんな顔しないで。 あなたのせいじゃないわ。 むしろ、気を遣ってつけてくれて嬉しいのよ」
 ベティはほっとして、顔をほころばせた。


 着替え終わって階下に行くと、ジリアンはまず台所へ行って、厨房係たちと旧交を温めた。 最近は大きな晩餐会がないらしく、ユーグの姿は見当たらなかったが、代わりにいつものメイランド夫人やルース、キャリーなどがいて、ベティと同じく大歓迎してくれた。
 その合間に、下男のビリーが石炭籠を下げて、地下室から上がってきた。 にぎやかな話し声を聞いて、好奇心を沸かしたらしい。 重い籠を持ったまま、ひょいと扉を開けて、頭を突き出した。
「何騒いでるんだね? ひょっとして……うひゃあ」
 料理番たちがどっと笑った。 ジリアンは驚いて顔を上げた。
「どうしたの?」
 目を糸のように細めたメイランド夫人が、楽しそうに答えた。
「どうしたって、そりゃお嬢様のほうでしょうが。 あんまり別嬪〔べっぴん〕になられたんで、ビリーが腰抜かしかけてますよ」
 ジリアンは信じなかった。 この種のお世辞は、最近言われ慣れていた。 ラテン系の男性は女性をもてはやすのがうまい。 いちいち本気にしていたら、身がもたないのだ。
「この寒さで鼻が赤くなって、つららが垂れそうなのに? ありがとう、誠実な昔馴染みの皆さん。 あなたたちに褒めてもらうのは、どこかの王子様に財産目当てで口説かれるよりずっと嬉しいわ」
「ええ? お嬢様は王子様に会われたんですか〜?」
 下働きのポリーが大声を上げた。 すかさずジリアンは調理台の端に腰をかけ、メイランド夫人が出してくれたレーズンクッキーをつまみながら、ウィーンで紹介された某国の第四王子について、面白おかしく話し始めた。







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