表紙目次文頭前頁次頁
表紙

手を伸ばせば その168


 北国の冬は、日が暮れるのが早い。 四時過ぎには、もう真っ暗になった。
 少し離れたところから見守っていたレイクが傍にやってきて、二人を屋根のある場所へ連れて行き、温かいエッグノッグを持ってきてくれた。
 しろめ(スズの合金)のコップで飲むと、熱が腹の底からしみわたった。 レイク自身は、ブランデーをちょっぴり入れてもらったようで、顔を赤くしてご機嫌な様子だった。
 周囲では、乗客たちが賑やかに話し合っていた。 ジリアンは壁の傍で、パーシーと向かい合って座り、小さいテーブルの下で手を握り合った。
「臨時休暇はいつまで?」
「明後日の夕方までだ。 今夜は兄貴のところへ泊まって、明日は親父に挨拶しに行かないと」
「もう一度会いたい」
 ジリアンの口調が、急に切迫した。
「とても不安なの。 あなたは、まだ十八歳だけど、私の場合、もう十八なのよ。 普通なら、家に戻ってすぐ社交界デビューでしょうけど、母はそれさえやらせてくれるかどうか」
「君のお母さんは、名誉欲にとりつかれてるよ」
 パーシーは、唸るように呟いた。
「なんであんなに見栄っ張りなんだ?」
「わからない」
 ジリアンは正直に答えた。
「たぶん、暇だからじゃないかと思うんだけど」
 思いがけない答えに、パーシーは思わず吹き出した。
「暇か! 地位に名誉に、美貌まで持ってて、暇を持て余してるなんて」
「美貌はいつか衰えるわ。 そうなったときのために、新しい自慢の種が欲しいのかな」
「おいおい、鋭すぎるぜ、チビさん」
 パーシーは真顔になって首を振った。


 ちゃんとレイクが迎えに行ったにもかかわらず、港にはデナム公爵家の紋章のついた馬車が、デンと待ち構えていた。
 鋭い目で船上から見慣れた車を発見して、レイクは恋人たちに注意した。
「一緒に降りることはできなくなりました。 御者はともかく、後ろに乗っているのは新しく雇ったお付きのポールで、奥様のお気に入りですから、何でも筒抜けになってしまいます」
「ありがとう」
 ジリアンは、素早くパーシーとキスを交わした。 パーシーが耳元で熱く囁いた。
「明日の午後二時、裏木戸のところで」
「必ず行くわ」
 囁き返してから、ジリアンはさりげなくタラップのほうへ歩み寄った。
 レイクが手を上げて合図すると、馬車の後ろに乗っていた若者が飛び降り、身軽に船に上がってきて、ジリアンの荷物を運んだ。
 
 
 馬車に乗る寸前、ジリアンはどうしても、船を振り向いて見ずにはいられなかった。
 パーシーは、舳先〔へさき〕に立っていた。 すらりとした脚にマントがまつわって、ゆるやかにはためいている。 動かずにジリアンの方角を見つめるその立ち姿は、伝説の騎士のようなシルエットになっていた。
 







表紙 目次 前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送