表紙目次文頭前頁次頁
表紙

手を伸ばせば その166


 こうして、秘書マックス・レイクのおかげ、というより、正確にはその上司デナム公爵の度量のおかげで、恋人たちは船上で四ヶ月ぶりの逢瀬をたっぷりと過ごすことができた。
 ただし、レイクの目の届く範囲内にいるという条件がついた。 デナム公は男性だし、若い頃に少しは遊んでいるため、情熱の怖さをよく知っていた。 押さえつけすぎれば、すべてを捨てて突っ走りかねない。 ぎりぎりまで耐えて、ついに駆け落ちしてしまったヘレンのように。 さりとて、野放しにさせすぎると、これも不幸な結果を生む。
 デナム公は、二人がどうにかして連絡を取り合っていることや、監視の目を盗んで、ごくたまに短時間逢っていることを知っていて、黙認していた。 もちろん妻のジュリアには内緒だ。 幼い恋が、成長と共に形を変え、自然に淡くなって消えるのを、公爵は期待しているのかもしれなかった。


 空は少しずつ晴れてきたが、風はまだ強く、船の帆を押し戻すように右へ左へと動いた。 だから、普段なら六時間前後で着くところを、一時間以上遅れた。
 恋人たちには、天から授かった幸せなひとときだった。 空気が冷え、海風に混じって時折小雪がちらつくのを物ともせず、二人は手をつなぎ、触れ合いながら帆柱や側索の脇をそぞろ歩き、低く優しい声で語り合った。
 暖かい手の上で、何度もパーシーの大きな手を転がしながら、ジリアンは呟いた。
「ここに傷がある。 ここにも」
「かすり傷さ」
「こんなに跡が残ってるのに? 巡洋艦は大変なところなのね」
 パーシーは面白がって、喉の奥で笑った。
「昔、樫の木から落ちて、ふくらはぎに枝が刺さったとき、そんなに心配したかい?」
「したわよ!」
 ジリアンは、むきになった。
「まだあの頃は天敵だったから、してないふりをしただけよ」
「へえ、そうなのか」
「そうです」
 かわいい口を尖らせて言い返した後、ジリアンはまた憂い顔になった。
「あなたが大学に行くのを止めて海軍に入ると言ってきたときは、ショックだったわ」
「ごく普通のことじゃないか。 俺は次男坊なんだから」
「ええ、確かに。 でも、あなたは成績抜群だったし」
「だからって、学者や法律家になる気はさらさらなかったんだぜ。 だいたいオックスブリッジなんて、たいていは悪友と悪い遊びを覚えるだけのところだ。 一部のがり勉を除けばな」
「行ってもみないで、どうしてわかるの?」
 軽くしっぺ返ししてから、ジリアンは爪先立ちしてパーシーの首に腕を巻いた。
「でもね、正直言って、その制服かっこいい。 よく似合うわ、隊長さん」
 ジリアンをすくい上げて唇を合わせた後、パーシーは白い歯を見せて言った。
「手紙の隠し名で、アヒルちゃん(=ダッキー:愛しいあなた)と呼ばれるのはわかるんだが、隊長はどこから来た?」
「なんなら将軍でもいいわよ。 あなたにはうんと偉くなってもらうから」
 そう答えて、ジリアンは笑み崩れた。







表紙 目次 前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送