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手を伸ばせば その145


 馬のいななきが聞こえ、人の話し声がした。 とたんにパーシーは身を強ばらせて、ジリアンをぶなの木の太い幹の陰に押しやった。
「動くなよ! ここで見つかったら、何もかも台無しだ」
「わかった!」
 囁きで答えると、ジリアンは幹に張り付くようにして、息を潜めた。


 やがて、シルクハットを斜めにかしがせた男の姿が、はっきりわかるほどの千鳥足で現れた。 酔眼もうろうで何も見えなければいいが、と願い、パーシーはじっと動かないでいたが、あいにく男は彼の伸び伸びした体躯にすぐ気づいたらしく、ひょろひょろと近寄ってきた。
 方向転換したため、頭の上で危なっかしく揺れていたシルクハットが転げ落ち、淡い月の光でも顔が見えた。 それは、フランシスの親友フレディ・ノースランドだった。
「よう、パーシー。 こんなところで一人で何してる?」
 パーシーは、素早く頭を働かせて答えた。
「煙草を吸おうと思ったんだ。 ここの奥方は、広間と喫煙室以外は禁止してるからね」
「そうかそうか」
 納得したら、すぐ寝に行けばいいものを、フレディは更に進んで、パーシーのすぐ傍まで来てしまった。
「ちょっと出かけたら、こんな時間になっちまってさ。 もうディナーは済んだかい?」
「とっくに終わったよ」
「それは残念! すごく腹がすいた気分なんだ。 酒は相当飲んだんだけどね。 つまみが甘ったるいケーキしかなくてね」
「調理室に行けば、残り物を分けてくれるかもしれない。 行くかい?」
「おぅ、ありがと、ありがとな」
 感激型のヨッパライらしく、フレディは泣かんばかりに感動して、パーシーに寄りかかった。 やむなく、パーシーは肩を組んで相手を支え、暗い裏庭を歩き出した。 途中で、落ちたシルクハットを拾うのを忘れずに。


 パーシーがうまくフレディを連れ去った後、ジリアンはそっと木陰から抜け出し、周囲に注意しながら屋敷の中に入った。
 さっきまで真昼のように煌々と輝いていた廊下は、燈火を半分以下に落として、柔らかい光に覆われていた。
 その中を漂〔ただよ〕い歩いているうち、ジリアンの心拍は改めて痛いほど高まり、激しい喜びが胸を突き上げてきた。
──私は、愛されていた…… 憎たらしいのに、なぜかいつも大好きだったパーシーが、苦しいほど強く抱きしめて、愛の告白をした! 私に、このジリアン・クリフォードに!──
 これはもう、夢としか思えなかった。 最初に気持ちを明かしたのが誰かなんてことは、問題ではなかった。 肝心なのは、パーシーが応えてくれたことだ。 彼は大喜びで、夢中になってジリアンに心を差し出してくれた。
 話してよかったなぁ、と、ジリアンはつくづく思った。 ヘレンの裏切りが悔しく、疲れはてて、つい本音が口からこぼれてしまったのだが、それがジリアンを歓喜の天国へ導いてくれたのだ。
 ジリアンは、階段をうっとりと上った。 踊り場の壁にかかっている鏡で、顔中が締まりのない笑みで緩んでいるのを見つけたが、気にもしなかった。
 私は幸せ。 最高に幸せ!
 昇りきると、もう我慢できなくて、ハミングに合わせてくるくる踊りながら、ジリアンは寝室へ向かった。









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