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表紙

手を伸ばせば その135


 もう周囲に隠しておける情況ではなかった。 ジリアンは真っ先に、フランシスの部屋へ飛んでいった。
 慌しくノックすると、フランシス自らが無造作にドアを開けた。 新しいシャツに着替えているが、上着はまだ傍仕えに持たせていて、結ぶ前のクラヴァットが首からだらんと垂れていた。
「どうした、ジリー? まだそんな格好のままか?」
 兄を押して部屋の中に入り、後ろ手にドアを閉めると、ジリアンは彼を窓の傍に引っ張っていった。
「おいおい、何だ?」
「今はマットに聞かせたくないの。 どうせわかってしまうでしょうけど」
「だから何を?」
 ジリアンは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ヘレンが、いなくなったの。 うちから馬車の迎えが来たように見せかけて、どこかへ消えてしまったのよ」


 初めはいぶかしげだったフランシスの顔が、ある段階で不意に深刻な表情になった。 普段は軽く見せているが、彼は敏感で悟りが早かった。
「どうも不自然だと思ったんだよ。 ヘレンが馬車に酔うなんて」
 クラヴァットを荒っぽくひと結びして、フランシスは傍仕えのマットから上着をもぎ取り、袖を通しながら戸口に向かった。
 ジリアンも急ぎ足で追った。
「どこへ行くの?」
「ゴードン・クレンショーのところさ、もちろん!」
「じゃ、やっぱり……」
 後の言葉が続かなくなった。 何てことだろう。 兄は、ヘレンが駆け落ちしたと思っている。 そして私も……!


「お父様たちに知らせなきゃ」
「僕が戻ってくるまで待て。 本当にやっちまったとわかったら、後を追うことになるだろうから」
 二人は息せき切って、階段を下りた。 ジリアンは泣きそうになっていた。
「信じられないわ。 みんなを騙して、私にさえ何も教えてくれないで、いきなり家出するなんて」
「恋は盲目って言うだろ。 理性が吹き飛んじゃったんだ、きっと」
 フランシスは馬屋に入り、アーマーという名の丈夫な鹿毛に自分で鞍を置いた。
「たぶん一時間はかかる。 まだ客が残ってるから、冷静に振舞ってくれよ」
「騒ぎ立てたりしないわ。 ヘレンの部屋をもう一度よく見てみる。 もしかしたら、書置きがあるかもしれない」
「頼む」
 優しく妹の頬に手を当ててから、フランシスは軽々と馬に乗って、夕暮れの街へ走らせていった。










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