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手を伸ばせば その133


 フランシスは、驚いて目をしばたたいた。
「大丈夫だよ。 道端に放り出してきたわけじゃなし、アンがちゃんと面倒見てくれるさ」
「わかってる。 そういう意味じゃないの。 ただ」
「ただ、何だい?」
「普段のヘレンと、どこか違っていたような気がして」
「どこが?」
「馬車が出てすぐ気分が悪くなったわよね。 一分か、せいぜい二分しか経ってなかった」
「まあ、そうだけど」
「それなら、馬車に乗る前から具合が悪かったんじゃない? 無理に一緒に来ることはなかったわ。 ハイドパークなんて、いつでも行けるんだから」


 いつものフランシスなら、ジリアンの勘に合わせて、早めに引き返してくれたかもしれない。 だが、その日は友人を何人も連れていた。 中にはダービシャーやマンチェスターのような遠方から来ている子もいる。 彼らは、ロンドンに居を構えるクリフォードたちのように、たやすく万博を見に来ることはできないのだ。
 憂い顔の妹を安心させようと、フランシスは微笑みを浮かべてジリアンの肩に手を置いた。
「大丈夫だよ。 今ごろはもう元気になって、アンと遊んでいるか、家に戻ってるさ。 僕たちはうんと楽しんで、ヘレンをうらやましがらせてやろうぜ」


 お昼近くなると、見物疲れと人いきれで、一同は新鮮な空気がほしくなった。 それで、いったん外に出て、芝生の上で昼食兼ピクニックをしようということになった。
 元は貴族の荘園だったハイドパークは、後にウェストミンスター寺院の所有地となり、宗教改革時の1536年にヘンリー八世が強引に買い上げて、王室の土地になった。
 1820年代にデシマス・バートンが近代的な公園に模様替えして、ギリシャ風の門をつけ、整備してからは、市民の憩いの場として人気が高い。
 一行は、長く広がるサーペンタイン池のほとりに場所を取って、にぎやかに話し合いながら昼食を取った。 無理を言って作らせたランチ・バスケットが、大いに役立った。


 小遣いに困らない一同は、更に入場料を払って、もう一度会場に入った。
 ジリアンは、バーミンガムから来た陽気なエステル・バーンズと共に、絨毯や織物の展示場をじっくりと見て回った。 絹やウールの精巧な生地、機械織りとは思えない見事な敷物など、いくら見ても飽きない。 終いに、機械部門を巡っていたフランシスたち男子が、心配して迎えに来るほどだった。


 夕方になって空が曇り、小雨が降り出した。
 それがいいきっかけになって、一行は見物を終わらせ、馬車に急いだ。
 グローブナーの屋敷に帰り着いたのは、五時少し過ぎだった。 ジリアンは、コートを脱ぐ間も惜しんで二階に駆け上がり、ヘレンの寝室をノックした。
「ヘレン? 気分はどう?」
 返事はない。 ドアを開くと、中は薄暗く、人のいる気配はなかった。
 まだ帰ってきていないのだ。 不意に、胸騒ぎが倍になって蘇ってきた。 ジリアンは飛ぶように階段を駆け下り、メイドの一人を捕まえた。
「ヘレンは?」
 メイドは足を止め、怪訝そうにジリアンを見つめた。
「え? お嬢様方とご一緒に博覧会へ行かれたんじゃないんですか?」










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