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手を伸ばせば その130


 しかし、そんなジリアンの心配は、取り越し苦労に終わった。
 まだ残っていた若者たちの間に、博覧会見物の話がいっせいに伝わると、自分も行きたいという連中が次々に名乗り出てきたのだ。
 そして最終的には、女性五人、男性七人という大規模なグループになってしまった。 その勢いを見て、パーシーはまた気を変え、やっぱり行かないと前言を翻して、ジリアンを失望させた。
「弟が一人ならともかく、二人いるんだ。 山のような見物客が押し寄せてくるのを見たら、あいつらがどんなにはしゃぐか、考えてもみろよ」
「まあ、それはそうだけど。 どっちか私が面倒見るわ」
「無理」
 パーシーは一言で切り捨てた。
「奴等のお守りで、何も見て回れなくなる。 それに、あいつら絶対面白がって、君を巻こうとする。 背が伸びた分、足も速くなって、俺でさえ追いつくのに苦労するんだ。 君じゃとてもついていけない」
 むっとして、ジリアンはパーシーを睨んだ。
「これでも走るの得意なのよ」
「知ってるよ。 さんざん遊んだじゃないか」
 パーシーは落ち着いて返した。
「でもな、ちゃらちゃらしたドレスにコルセットで走ったことはないだろ?」
 パーシーが下着の名前を口にしたので、ジリアンは赤面して後が続かなくなった。


 若いレディが五人もまとまって、しかもたくさんの青年紳士たちと行くので、お目付け役の付き添いが必要だった。 幸い、その面倒な役目を、ホノリア叔母が引き受けてくれたからよかったが。


 翌朝の八時四十分には、三台の四輪馬車が準備され、御者と脇侍が乗って、いつ出発しても大丈夫な状態になっていた。
 しかし、乗客は甘やかされた金持ちの子弟達だ。 やれ帽子を忘れただの、上着の色が合わないだの、果てはピクニック気分で料理人にランチ・バスケットを作らせる輩〔やから〕まで現れて、出発は予定の九時より半時間も遅れた。
 ヘレンは若草色の、ジリアンは淡いラヴェンダーカラーのデイ・ドレスを着た。 ヘレンは珍しく興奮していて、モスリンのドレスの上にタフタのケープを羽織りながら、盛んに頬の赤みを気にしていた。
「変ねえ。 なんでこんなにリンゴみたいになってるのかしら。 少し白粉〔おしろい〕をはたいたほうがいいと思う?」
「それは止めたほうが……」
 一般人のメイクは、ようやく既婚女性(それも輸入品のフランス・コスメを使えるほどの金持ち)がやり始めた時代だった。 若い娘が化粧すると、女優か商売女と間違えられかねない。 特に、明るい昼間の太陽の下では。
 ジリアンは、なだめるように言ってみた。
「血色がいいほうが生き生きと見えるわよ。 サリー・メイフィールドなんて顔色が悪いのを気にして、しょっちゅう頬っぺたをつまんで赤く見せてるのよ」
「そうね。 外の風に当たれば、自然に冷えるわね」
 ヘレンは納得して、鍔広の帽子を頭に載せ、首元でリボンを華やかに結んだ。


 若者たちは、仲のいい同士で馬車を選び、賑やかに乗り込んだ。 ジリアンは、ヘレンと兄のフランシス、お目付け役のホノリア叔母、それに兄の友人のフレディ・ノースランドとの五人で、最後尾の馬車に乗った。
 異変が起きたのは、グローブナーを今にも抜けようかという四つ角の付近だった。 妙に口数が少なく、時折扇子を出して顔を煽いでいたヘレンが、不意に喉に手を当てて、かすれた声を出した。
「あの、馬車を止めてもらえる?」
「どうした?」
 驚いて、向かい合って座っていたフランシスが、身を乗り出した。 ヘレンはきゃしゃに見えるが、いたって乗り物に強く、木の葉のように揺れる小型ヨットに乗っても平気だったという根性の持ち主だったのだ。










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