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表紙

手を伸ばせば その127


 翌日は、家族全員が疲れ果てた。
 母のジュリアは、昼を過ぎても目を覚まさなかったし、いつもは早起きのヘレンさえ、太陽が高く上ってから、目をしょぼしょぼさせてようやく部屋から出てきた。
 普段と同じように早起きしたのは、ジリアンだけだった。 使用人たちも、片付けが終わったばかりで疲れているので、わずらわせないように台所へ行き、昨夜の残りのカナッペを朝食代わりに摘まんだ。
 銀の食器を数えながら磨いているメイド達と話していると、田舎の本宅からわざわざ呼ばれたフランス人シェフのユーグ・メルモランが、裏口から現れた。
 くしゃくしゃに髪を逆立て、ガーゴイルのようなしかめっ面をしていたが、その仏頂面が、ジリアンを目にしたとたんに緩んだ。
「オーララ、プティット・マドモアゼル(チビのお嬢ちゃん)じゃないかね。 朝からタント(たっぷり)食べてるね」
「おはよう、ユーグ」
 ジリアンも、手をひらひらさせて挨拶した。
「いつもよりハンサムよ。 乱れ髪で、森の熊さんみたい」
「ハーブの籠を調べてたんだ」
 ユーグは唸った。
「食料庫のハムとソーセージも。 半分アボッツに持って帰る。 あんなデリシューズなもの、小汚いロンドンに置いとくと、早く腐る」
「デリシューズじゃなくて、デリシャス」
 怒って、ユーグは両手を高く掲げた。
「もとはフランス語! あんたたちの発音が悪い!」
「そうなのかもしれないけど」
 ジリアンはあっさり認め、もう一口食べた。 ユーグがいると嬉しい。 妙な話だが、外国人の彼とふざけていると、故郷に帰ったようなくつろいだ気持になれた。


 フランシスは、昼前に起きたらしいが、誰にも告げずにさっさと街へ遊びに行ってしまった。 
 父とヘレンは、泊り客の相手をしていた。 たぶん今日か、遅くとも明日か明後日にはみんな帰るはずだ。
 パーシーが弟たちをロンドン見物に連れていってしまったので、ジリアンは普段着でユーグの食材選びを手伝い、お礼にチョコレートのたっぷりかかったフィンガービスケットを一包み貰った。
「この後アボットに帰ってくるんだろうね」
 黒い目を光らせながら、ユーグは尋ねた。 ジリアンは、フランス風に肩をすくめた。
「どうかしら。 すごく帰りたいんだけど、お母様がスコットランドへ避暑に行くみたいなこと言ってたから」
「みんなで行くなら、きっとユーグも行く」
 彼は満足そうになった。
「夏中ジリー嬢ちゃんをからかえる」
 ユーグは話し相手がいなくて寂しいんだ。 そう悟って、ジリアンはそっと彼の腕に手を置いた。
「きっと皆で行けるわ。 ハーブとマディも一緒に来るかもしれないし」
「あの二人はどうでもいい」
 あっさり切り捨てると、ユーグはジリアンの手を取ってチュッと音を立ててキスし、フランス語で言い残して、食料庫を先に出て行った。
「マ・プティット・フィーユ・ダングレーズ、ジュタドール」


 残されたジリアンは、微笑みながら棚の縁を指でたどった。
 (──かわいいイギリスのチビさん、大好きだよ──)
 気まぐれで感情過多のユーグだから、勢いにまかせて言っただけだろうが、素朴な言い方が心に温かかった。
 美辞麗句を連ねるより、ああいう風にずばりと言ってくれる男性がいいな、と、ジリアンはそのとき、強く思った。










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