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手を伸ばせば その126


 やがて玄関ホールの大時計が、貫禄のある音で十一時を知らせた。
 大広間との境のドアが開いて、ヘレンが笑顔で覗いた。
「新婚さんが挨拶して退場するところよ。 あなた達も来て」
 たちまち若者達がドアに殺到し、大広間に入って、幸福なカップルに視線を釘付けにした。
 年配者や身分の高い客たちに、まず丁寧に礼を述べてから、二人はそれぞれの友達と交歓し、最後に忘れず年少組に向かって、晴れやかに手を振った。
「お幸せに!」
 少女たちが叫ぶと、マデレーンが飛び切りの笑顔を返した。
「ありがとう! 貴方達にも素敵な旦那様が見つかりますように!」
 ハーバートは、マデレーンの手を脇の下に抱え込み、祝福する人々の間をかいくぐって、白いドアに向かった。 ジリアンは、ヘレンと共にマデレーンを途中で引き止め、両側から抱いて頬にキスしてから、ゆっくり壁に寄りかかって新婚夫妻を見送った。
 二人はこれから馬車に乗り、ラムズデイルの父がオッターボーン街に借りた屋敷へ向かう。 そこは、新興成金が次々としゃれた家を建てている区画だが、いわゆる高級住宅地ではなかった。
 でも、最新設備が整っているし、あそこなら誰にも気兼ねなく二人きりになれる。 ジリアンは改めて、マデレーンの幸運を思った。
 母が不本意ながらも盛大に後押しして睨みをきかせたので、身分は少々劣っても、ラムズデイル一家が上流社会から冷遇されることはないだろう。 そして真面目で働き者のハーバートは、妻を大事にするにちがいない。 まちがっても、家柄を誇る大貴族のように、平気で愛人を囲ったりしないはずだ。


 ヘレンはケープを肩に巻いて、出発する新婚夫婦の馬車を見送りに行った。
 ジリアンは後を追わず、花束のようにカールをまとめた後頭部を、波紋模様の綾絹を張った壁にもたせかけた。 そして、ぼんやりと考えた。
──私の夫は、どんな人になるんだろう。 ローウェル? それともグレゴリー・ウェイラン?──
 グレゴリー・ウェイランとは、将来の社交界の中心になるだろうと噂されている、評判の美少年だった。 ヨークシャーに広大な領地を持つ伯爵の一人息子で、文武両道に育てられ、万事にそつがない。
 だが、ただ一つ弱点があった。 ローウェル・ハミルトンと極端に仲が悪いのだ。 二人とも幼なすぎて記憶の彼方にうずもれてしまったほどの昔から、どこで顔を合わせても犬と猿のようにいがみ合うので、二人が同時にパーティーに招かれることは、ほとんどなかった。
 だから逆に、二人の名前はいつも対〔つい〕にして語られた。 ローウェルを思い出すと、グレゴリーの名が口に出てしまう。 ジリアンもそうで、ローウェルとグレゴリーが自分の両側で闘犬のように唸り合うのを想像してしまい、あやうく一人笑いするところだった。
 二人は本当に、ジリアンを巡って争うかもしれない。 ただ、彼らが求めるのはジリアン本人じゃない。 家柄と財産、地位、将来性……。
 あーあ。
 ジリアンは、華やかな会場で、深い孤独を感じた。










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