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手を伸ばせば その120


 結婚式は、主に妻側の格式に合わせて、セントポール寺院で挙行された。
 上流社会で、恋愛結婚はめったにない。 だから、祭壇の前に並んだ新郎と新婦が、誓いの言葉を口にする間、ひとときもお互いから視線を外さず、うっとりと見つめ合っている様子は、招かれた人々の心に爽やかな感動を呼び起こした。
 ただし、大勢招かれた客の中には、この結婚を歓迎しない者もいた。 式がたけなわになったとき、ジリアンの右斜め後ろから、聞こえよがしなひそひそ話が響いてきた。
「確かに財産は唸るほどあるでしょうけど」
「男爵の位を買えるほどね。 ワインだけでそんなに儲かるかしら。 陰で奴隷売買に力を入れてるという噂もあるのよ」
 ジリアンは、頭に血が上った。 最低なデマだ! いったい誰が言いふらしているんだろうと、振り返るそぶりを見せたとたん、ヘレンが横から手首を軽く引いて、止めさせた。
「見たらダメ。 注意を引いたと、相手を喜ばせるだけよ」
「でも、あんなインチキを言わせておいたら……」
「言ってるのはレドムーア子爵夫人よ」
 壇上では、ハーバートの親友で付添い人のドルフ・レアリーが指輪を渡しているところだった。 ハーバートが注意深く受け取るのを見ながら、ヘレンはいっそう声を落としてジリアンに囁いた。
「子爵には、自分が奴隷貿易で借金を返しているという噂があるの」
 ジリアンは大きく目をむいた。
「何ですって!」
「シッ。 静かに」
 この日のためにレモンと蜂蜜と手袋で艶やかに白くした手を、マデレーンはそっとハーバートの掌に載せた。 結婚指輪は、形のいい薬指にスッと嵌まり、見つめていた両家の家族は、胸を撫でおろした。
 ハーバートがヴェールを上げると、緊張と喜びで上気したマデレーンの愛らしい顔が現れた。 二人はどちらからともなく寄り添い、やさしくキスを交わした。


 二人が向きを変えて、祭壇を降りてきた。 そこからは、親戚縁者の子供たちの出番だった。 それぞれ籠にバラの花びらを山盛りにして捧げ持った女の子たちは、笑いさざめきながら新郎新婦の通る道筋に振り撒いた。 浮き上がるような足取りで、二人はしっかり手をつなぎ、先頭に立って、明るい光の差し込む正面口へと歩き出した。
 ヘレンは、ジリアンと並んで花嫁たちの後ろについた。 そして、話の続きを始めた。
「つまり、子爵夫人は自分たちから人目をそらすために、ラムズデイル家を中傷してるの」
「なんて汚い!」
 ジリアンが憤慨すると、ヘレンはにんまりと笑った。
「見てて。 もうじき仕返しされるから」
「え? どうしてわかるの?」
「陰の情報よ。 社交界には、いろいろあるの」
 慎重なヘレンのことだ。 しっかりした裏付けがあって言っているにちがいない。
 ジリアンは、教会を出るとすぐに、高慢ちきな態度で馬車を呼び寄せている子爵夫人を、鋭い目で眺めた。 そして、夫人の夫が一日も早く、人を家畜扱いして売るなどという違法行為を止めますようにと、心で祈った。











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