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表紙

手を伸ばせば その111


 友人たちと抱き合って、しばらくの別れを惜しみ、知り合いの生徒たちと手を振り合って、ジリアンは馬車に乗った。 山の中腹では、まだ夏は遠い。 道をうねうねと下って、村の通りに入っても、吹きつける風は冷気を含み、時おり身震いが出るほどだった。


 地中海目指して南下するにつれ、気温は徐々に上がっていった。 旅費をたっぷり渡されているレイクは、ゆったりした専用の馬車を雇ったが、地域によっては乗り合い馬車しかない場合があり、地元の親子連れや、商用で旅する紳士、裕福な行商人などと同じ車内で揺られていった。
 ジリアンは気にせず、むしろ退屈が紛れて面白かった。 レイクがどう感じていたかは、いつも仏頂面なので、見当がつかない。 彼は、ある種の謎だった。


 時間を持てあますのは、旅館で個室を取ってもらった後、一人になる夜だった。
 ジリアンは思った。 イギリスに帰ったら、ベスの両親のデリング子爵夫妻に連絡を取って、同じ船で帰宅できるようにしよう。 そうすれば、長い帰り道で話し相手ができるし、お互い心強い。




 港で乗った船は、順調に航路をたどった。 今度の船は、ジブラルタルに停泊して物資を補給するというので、ジリアンは楽しみにした。 デントン・ブレア大尉が街にいれば、逢うことができるかもしれない。 彼とは既に六度、手紙のやり取りをしていて、ユーモアがあって頭の切れる人だという印象を受けていた。


 蒸気エンジンが開発されてから、船は驚くほどスピードを増した。 それでもジブラルタル海峡までは三日かかる。 今度の航海は低気圧が来て、海が少し荒れたため、船酔いしないジリアンでも食欲が落ちた。 だから、ジブラルタルの巨大な岩山、ザ・ロックが見えてきたときには、胸を撫でおろした。




 十八世紀初め以来イギリスが占拠しているジブラルタルは、岩山の麓に張り付く小さな町並みだった。 きれいな港にはイギリスの帆船や動力船、軍艦が並び、その間を引き舟や漁船が往来していた。
 荷揚げは夕方までかかるというので、ジリアンは町を見て回ることにした。 レイクに付き添われて、木製のタラップを降りると、動かない大地がとても頼もしく感じられた。
 空気は乾燥していて、さわやかだった。 想像していたより立ち木が多く、緑が多い景色だが、道路はとても狭かった。 おまけに入り組んでいて、うっかり曲がると道に迷うこと間違いなしという雰囲気だ。 ジリアンは小綺麗な店が並ぶ表通りを外れないよう気をつけた。
 パン屋、銃砲店、本屋に鍛冶屋。 コーヒー豆を売っている店を通り過ぎると、香ばしい香りがただよってきた。
 リボンや手袋、スカーフなどを売っている一角を見つけて、ジリアンは立ち止まった。 日傘を持った婦人客が数人たむろしている。 通行人の会話は英語が多かったが、スペイン語やフランス語、ギリシャ語も混じっていた。
 四隅にテネリフ・レースを嵌めこんだ豪華なハンカチが、ジリアンの目を引いた。 イギリス本国で買うよりずっと安い。 これを姉たちへの土産にしようと、レティキュールを探っていると、横から明るい声が聞こえた。
「これは驚いた。 レディ・ジリアンじゃありませんか!」










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