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手を伸ばせば その98


 ジリアンは自惚れ屋ではなかったので、大尉の視線を自分への賞賛だと信じこむようなことはしなかった。
 それにしても、探るような眼差しだったのは確かだ。 だが、その視線は冷たくはなく、むしろ包むような暖かさが感じられた。 まるで保護者のような。
 やっぱり子供扱いか。
 ジリアンは少し悔しくなった。 背伸びしたい年頃なのだ。 一人前の娘としてダンスに誘われたと思いたかった。
 気が付くと、先ほどの曲は終わり、新しいワルツが始まっていた。 ジリアンは足を止め、陽気に回る人々の輪から抜けようとしたが、力強い大きな手が彼女の腰を離さず、ランタンの灯るデッキの端に連れていった。
「もう一曲だけ。 二曲までなら礼儀に外れないでしょう?」
「ええ、でも……」
「僕たちは次の停泊地で降りますから、お話しできるのは今夜だけなんです。 だから後五分だけお付き合いください」
 オレンジ色の光が揺れるランタンの下で、ジリアンは半ば影になった青年の端正な顔を見上げた。
「ジブラルタルに行かれるんですか?」
「ええ、しばらく駐屯〔ちゅうとん〕します」
 ジブラルタルの町は、海峡に面した細長い石灰岩の岩場にすぎないが、良港として地中海へ入る重要な軍事拠点で、1713年からイギリスの統治になっている。 今は戦争中ではないが、いざとなれば前線になりやすい危険な土地だった。
 ジリアンは、息を詰めて訊いてみた。
「島流しにあったような気がしません?」
 とたんにデントン・ブレア大尉の笑顔が弾けた。
「確かにイギリスからは遠いですが、そこまでは。 それにジブラルタルは交易が盛んで活気があるし、気候もいいですからね」
 ちょっと恥ずかしくなって、ジリアンは下を向いた。
「そうですね。 私は一家でこの間までイタリアに行っていて、故郷が恋しかったものですから、つい」
「ああ、それなのにまた外国に?」
 同情を込めた言い方につられ、ジリアンの口がつい軽くなった。
「そうなんです。 姉の代わりにスイスの学校へ行かされるなんて、思ってもみませんでした」
「貴族のお嬢さんの宿命ですね」
 大尉がなおも話し続けようとしたとき、横を同じ海軍の制服がすり抜けていった。 デントン・ブレア大尉と共に船に乗った黒髪の青年で、今度はジリアンにも軽く頭を下げ、微笑みを残した。
「彼はジョン・ラムジー大尉。 口は悪いが腹の中はいい奴です。 あ、すみません、腹なんて言っちゃって」
「かまいません。 故郷では村の子と真っ黒になって遊んでいたおテンバですから、レディみたいに気を遣わないでください」
「貴方はレディですよ」
 むしろ驚いたように、デントン・ブレア大尉ははっきりと言い切った。









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