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その95
秘書のレイクは、いつもジリアンに付き添ってはいたが、傍へ来るのは食事時ぐらいで、後は少し離れたところから見守っていた。
もともと無口だから、しつっこく話しかけることもない。 むしろ、しゃべらなすぎて退屈きわまりない存在だった。
船は大西洋を斜めに南下し、リスボンで半日停泊して、物資と新たな乗客を迎え入れた。
ジリアンは、朝の光を浴びた甲板に出て、広々とした港を行き交う大型帆船やクリッパー(高速船)、そういった船を上手に誘導して、元気な子犬のように動き回るタグボートを眺めた。
ジリアンの乗るウェストウィンド号も、白い蒸気を吐く青いタグボートに引かれて、港内に入った。 船が桟橋に着くと、タラップが設置され、人と荷物の往来が始まった。
頑丈に縛られた木箱やジュートの袋が、巨大な網に載って、次々と船上に持ち上げられていく。 船員たちの掛け声が響き、巻き上げ機がきしむ。 あれはワインの樽、こっちはケーキ用の小麦粉かしら──いつも食欲旺盛なジリアンが、食料品の用途に思いを馳せていると、タラップを二人の軍人が話し合いながら上ってきた。
一人は、目がさめるような黒髪の美男子だった。 だが、ジリアンの注意を引いたのは、大柄で鋭い目をしたもう一人の青年のほうだった。
確か、どこかで見たことがある。 お茶会だったか、それともイタリアのダンスホールでか……
ジリアンが連れに視線を留めているのに、黒髪の士官は気づいたらしい。 横を通り過ぎながら、可笑しそうな口調であからさまに言った。
「あの子、おまえに気があるようだぜ。 まだほんのねんねで残念だな」
ジリアンは、はっと我に返った。 急いで顔をそむけたが、頬が怒りで赤らんだ。 そんなつもりで見ていたわけじゃないのに、何あてこすり言ってるんだろう。
そのとき、横の青年が深い声で答えるのが聞こえた。
「前に本屋で会ったことがあるんだ。 だから、どこかで見覚えがあると思っただけだよ」
「おまえ、本屋なんか行くのか? まさかクレメントみたいに詩を書くなんていうんじゃあるまいな」
黒髪の士官が笑い声を残して、二人は遠ざかっていった。
ジリアンはまた海に顔を向けたが、心はもう景色から離れていた。
──本屋? ロンドンかしら。 全然記憶にないけど。 それとも…… ──
そこで気づいて、ジリアンは目を見開いた。 そうだ、アボッツ村のソーンダースさんの店に、大きな海軍の軍人が入ってきたことがあったっけ!
あれは、コリンたちに泥をぶつけられた日だった。 ジリアンはお粗末な夏服を着ていて、髪もばさばさだった。 今よりもっと子供だったのに、あのいかにも男らしい軍人に、どうして覚えられていたのだろう。
ジリアンは、不思議でしかたがなかった。
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