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表紙

手を伸ばせば その87


 土産物を買い、新たに知り合いになった別荘近辺の人々に陽気な歓送会を催してもらって、ようやくクリフォード一家はイギリスへの帰路に着いた。


 四日後にロンドンへ戻ったとき、ジリアンはすぐに田舎の本宅へ帰れると思っていた。 ところが、一週間経っても両親は何も言わず、八日目にはヘレンの口から、思いがけないことを聞かされた。
 その午後、ヘレンは母の依頼で訪れた仕立て屋に仮縫いをしてもらっていた。 まだ年が明けたばかりだが、次の社交シーズンに向けて、新しいドレスを揃える準備が着々と進んでいた。
 サテン、ベルベット、チュールにオーガンジーといった布地の山と待ち針の大群からようやく逃れて、ヘレンは夕方になってようやく奥の部屋から出てきた。
「あーあ、足が棒みたい。 二時間以上立ちっぱなしだったのよ」
「大変だったわね。 こっちでお茶でも飲まない?」
 夕日の差し込むプレイルームでジリアンと玉転がしをやっていたマデレーンが、疲れた顔でよろめき込んできた姉に声をかけた。
 ヘレンはうなずき、手近な椅子にドサッと腰をおろした。
「お母様は、当分あなたのことは諦めたみたいね。 縁談を断られたっていう噂が一部で広まってて、評判が落ちてるから、ほとぼりがさめるまでは連れ歩かないほうがいいって」
「ありがたいわ、ほんとに」
 マデレーンは蛙の面に水で、てきぱきとティーコゼからカップに紅茶をついだ。
「社交界なんか私には向いてない。 細かい礼儀作法づくめで、おまけに裏へ回ると陰口と足の引っ張り合いばっかり」
「生存競争なのよ」
 ヘレンは一言で片付け、床に屈んでボールと的の距離を目測で計っているジリアンの方に視線を移した。
「それで、ジリー、いよいよあなたに番が回ってきたようよ。 ウィルソン夫人とかいう人がやっている私塾が郊外にあるらしいわ。 イタリアでのあなたを見て、レディというより野生馬に近いと気づいたんですって。 それで、二年かけて基本的な立ち居振舞いから叩き込んでもらうことにしたって」
 唖然となって、ジリアンはボールを手から取り落とした。
「私、そんなに礼儀知らず?」
 ヘレンは笑い、優雅に手を横に振った。
「ちがうわよ。 あなたは可愛いし、マナーも知ってるわ。 お母様の望みは、もっと、ええと何て言ったかしら、そうだ、コケティッシュになってほしいってこと」
 ジリアンはむっとした。
「お色気を振りまけって?」
 自分の分も紅茶をついで、エレガントに飲んでいたマデレーンが、ウッとむせた。
 ヘレンの笑顔が大きくなった。
「女らしくしてほしいんでしょう。 神秘的で、男性がうっとり振り返るような」
「何を無理言ってるの」
 ジリアンは苦りきった表情になった。
「私ほど神秘からかけ離れた存在はないわ」
「だから、そう見せるだけでいいのよ」
「できない」
 ジリアンは、長姉の顔をまっすぐ見つめて、はっきりと宣言した。
「どれだけ訓練されても、野生馬はペガサスにはなれないの。 二年どころか、来年になればお母様にもわかるわ。 ヘレンと私じゃ天と地の違いがあるんだから」








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