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その86
ハーバートとパーシーのラムズデイル兄弟が姿を消して六日後、年末も押し詰まった十二月二十九日に、ようやくジリアンたちの父サー・ジェイコブが重い腰を上げた。
そろそろ国へ帰るから、土産に欲しい物があるなら今日のうちに買ってきなさい、と言われて、父が気前よく小遣いを渡してくれたため、三姉妹は兄のフランシスと共に、大はしゃぎで馬車に乗った。
母のジュリアは、頭痛がすると言って同行しなかった。
クリスマスは終わっても、まだ冬の休み中で、ローマの繁華街は賑わっていた。
町の中央に伸びるコルソ通りを馬車で行き、婦人服店や小間物屋の並ぶボルゴニョーナ通りの横道に入ると、ヘレンとマデレーンはウインドウにしゃれたキッドのショートブーツが飾ってあるのを見つけ、急いでその靴店に入っていった。
ジリアンは、フランシスが隣の手袋屋に興味を持ったので、兄と一緒にそっちへ行った。 中には若い男の先客が二人いた。 一人が、下手なイタリア語で黒髪の女店員と話している。 彼女が美人なので、手袋を選ぶふりをしながら誘いかけているらしかった。
もう一人は、退屈そうに店の内部を見回していたが、後から入ってきた兄妹に気づくと、パッと明るい顔になった。
彼は、にこにこしながらジリアンに歩み寄ってきて、フランス語で話しかけた。
「こんにちは、エラールと申します。 この前ダンスホールでお見かけしましたね」
きちんと刈りそろえた彼の髭を見て、ジリアンも思い出した。
「ああ、マデレーンとお話なさってた方ですね」
「そうです」
嬉しそうに答えながら、エラールは感嘆の表情を浮かべてジリアンを見つめた。
「それにしても、お姉さんともども本当にお綺麗ですね〜」
「姉たちは美人ですが、私は目立たないほうで」
「いやいや、とんでもない」
エラールが更に誉め言葉を続けようとするのを、フランシスが遮った。
「失礼。 妹に手袋を買ってやりたいので」
「ああ、お邪魔しました」
小柄なエラールは、彼より頭半分ほど背が高く、肩幅の広いフランシスの冷たい顔を見上げて、ひるんだ様子で道を開けた。
もう先客の採寸をすませた黒髪の女店員が、フランシスに愛想笑いを向けた。 店員の立つカウンターに近づきながら、フランシスは小声で妹に注意した。
「ほとんど知らない男なんだろう? 適当にあしらっといたほうがいい。 フランス人なんだし」
「いい人そうだけど」
「世間知らずなんだな、ジリーは。 世間の男の九十九パーセントは狼だってことを、母上は教えなかったのか? 困ったもんだ」
大人ぶって、フランシスは頭を振った。
ジリアンは考え込んだ。 そう言えば、母に叱られたことはあるが、何かを教えてもらったことはほとんどない。 母の存在は、ジリアンにとって、冬空の北極星みたいなものだった。
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