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手を伸ばせば その82


 若い客たちが興奮さめやらぬ様子で帰っていった後、姉達は足を引きずるようにして二階へ上がっていった。
 ジリアンは、口実を設けて下に残り、廊下を歩き回ってリカルドを探した。
 配膳室の前を通っていると、背後から足音が大きくなってきて、リカルドの声が聞こえた。
「レディ・ジリアン!」
 ジリアンは、すぐ立ち止まって振り向いた。
 すぐ前で立ち止まったリカルドは、息を弾ませていた。
「舞踏室の後片付けをしていたら、お嬢様が歩いていかれるのが見えて、急いで追いかけてきました」
「あなたを探していたの。 舞踏室を覗いてみればよかった。 階段のすぐ近くなのに」
 ジリアンは彼に微笑みかけた。
「明日の朝に出発することになったの。 いろいろお世話になりました。 ありがとう」
「こちらこそ。 お嬢様にも兄上のフランシス様にも、お礼の言いようもないほどご親切にしていただきました」
 リカルドは、静かに答えた。 そして、決意を秘めた眼差しでジリアンを見ながら続けた。
「スザンナは、わたしの実家で引き取ることにしました」
 ジリアンは、はっとした。
「よかった」
「ええ。 頂いたお金で下宿料を払うなんて言うんですが、断りました。 あの金は子育ての費用に残しておくべきですから」
 感動して、ジリアンはレティキュール(小物入れ)を探り、父が旅行の小遣いにとくれたヨーロッパ硬貨のうち、ニ十フランのナポレオン金貨をあるだけ取り出して、リカルドに差し出した。
「では、代わりに払わせて」
 驚いたリカルドは、後ずさりした。
「いいえ! これ以上ご迷惑をかけるなんて」
「迷惑じゃないわ。 私とあまり年の変わらないスザンナに親切にしてくださるご両親と、それに何より優しい貴方のために、できるだけ負担を少なくしたいの」
「優しいかどうか……」
 リカルドは口ごもった。 少しためらった後、彼は心を決めて話し出した。
「あの子たちを他所へやりたくないんです。 今は男を怖がってますが、そのうち気持ちが和らいだら、女房になってくれと頼むつもりなんで」
 ジリアンは目を見張った。 なんて素敵なんだ!
「そうなりますように! 心から願うわ。 じゃ、これは早いけど結婚のお祝いに」
「いや、そんな」
「受け取って。 これは旅行用で、イギリスに戻ったら使えないんだから」
「両替できますよ」
「固いこと言わないで」
 金貨を挟んで押し合いをしているうちに、二人とも可笑しくなって笑い出してしまった。


 結局、ジリアンがリカルドの上着のポケットに金を押し込んで決着がついた。
 背の高い彼を見上げるようにして、ジリアンは残念そうに言った。
「これでお別れね。 なんだかさびしいわ」
「わたしもです」
 そう答えると、リカルドは軽く片目をつぶってみせた。
「お嬢様と兄上は楽しい方たちで、わくわくする毎日を過ごさせていただきました。 お二人のお幸せを祈ります」








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