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手を伸ばせば その81


 その夜は別れの晩餐会が催された。 近くに住む貴族や知識階級が八人ほど招待されたが、もうじき親戚になるはずのダレグリーニ家からは誰も来なかった。
 客たちは、食事の席で初めて三姉妹と顔を合わせた人がほとんどで、みんな符牒を合わせたように目を丸くし、もっと早くお逢いできていれば、と残念がった。 若い男性は特にそうで、食後は彼らの懇願により、ピアノの伴奏で臨時のダンス・パーティーになってしまった。
 ピアノを受け持ったのは、ジリアンだった。 十五歳というのは半端な年齢で、ふつう後一年か二年経たないとデビューはしない。 と言っても、たまにはその年で結婚する例があるし、婚約はよく成立していた。 だから、ジリアンは舞踏室に残ってもいいがダンスはまだ早いという、微妙な立場に置かれていた。
 次から次へと誘われる姉たちをちらちら眺めながら、ジリアンは結構いい気持ちで指を動かしていた。 ピアノは好きだし、リールやワルツは弾いていて気持ちが浮き立つ。 ただ、楽譜めくりを申し出た栗色の髪の青年が、さりげなく体を寄せてくるのが、ちょっとわずらわしかった。


 二人はフランス語で会話していた。 ジリアンはエラ・ホッブスの厳しい指導のおかげで、なめらかに話せた。 エラに感謝したのは、これが初めてだ。
 それでも、母国語でない言葉を交わすのは疲れる。 演奏しながらでは、なおさらだ。 ジリアンは肩が凝ってきて、気分転換に暗い窓の外へ目をやった。
 とたんに、作り笑顔が固まった。 ガラスの向こうに人影が見える。 しかも、その影はジリアンが気づいたのを悟るとすぐ、窓ガラスに思い切り鼻を押しつけた上、その横で指をヒラヒラ動かしてみせた。
 ジリアンは、思わず目をつぶった。 ここで笑い出すわけにはいかない。 育ちすぎの三歳児みたいなことをする悪ガキを、喜ばせちゃいけない!
 次の瞬間、意志の力が自然の摂理に抵抗できなくなり、ジリアンは吹いた。
 急いで手を口にやって、咳の真似をしたため、演奏が止まった。 楽しげに舞っていた若者たちが、一斉に溜息と抗議の声を上げた。


 結果的には、ジリアンの空咳がダンスを止める口実になった。 ヘレンとマデレーンは疲れ切って、それでもまんざらでない表情で、ジリアンの傍へやってきて、ピアノ椅子の両端に座った。 楽譜めくりのマルコ青年は、哀れ追い出されてしまった。
 ヘレンが内輪の英語で囁いた。
「うー、足が痛くなった。 ここの若い人たちは元気ねえ」
「明日は何時に船が出るんだったかしら? それまでたっぷり寝ておかないと」
 今度は窓に張り付いて、すごい寄り目を作っているパーシーを、ジリアンは横目で睨みつけた。
「次は専門の楽団で踊ってほしいわ。 伴奏するとピアノから動けなくなるし、からかう人がいるし」
「え? どこに? さっきのかわいい男の子?」
 ヘレンがまともに取って、マルコが去っていった方角を振り向いているうちに、ジリアンはマデレーンの腕をつついて、窓に注意を向けさせた。
 同時にパーシーは澄ました顔に戻り、申し分なく優雅に一礼して、背後の闇に融けていった。








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