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手を伸ばせば その77


 台所付近にも、図書室の近くにも、リカルドの姿は見えなかった。 ジリアンは根気よく広い屋敷内を巡回して、ようやく奥の間で忙しく働いているのを発見した。
 その部屋は、大広間から入る三つの豪華な部屋の一つで、とりわけ立派な装飾がほどこしてあり、人の身長の何倍もある巨大な絵が、壁面をきらびやかに飾っていた。
 ただし、普段は使われていないらしく、家具には埃よけの白い布がかけられていた。 リカルドたち従僕は、三人がかりでその布を取って畳み、棚を拭き、暖炉に火を入れた。 てきぱきと働くその様子を、ジリアンは少しの間見守っていた。


 やがて、リカルドの視線が偶然に戸口を向き、ジリアンの姿を見つけた。 彼は、ジリアンが何のために来たかすぐわかったようで、小さく頷いてみせると、声を出さずに口だけ動かした。
 図書室、という言葉を読み取って、ジリアンは了解の合図に軽く手を上げ、回れ右して廊下を歩き出した。


 五分ほど待つと、ドアが開く音がした。 そして、リカルドが慎重に廊下を見渡した後、図書室にすべりこんできた。
「お待たせしました」
「私こそ、仕事中にごめんなさい」
 ジリアンは、急いでリカルドに歩み寄った。
「誰も教えてくれないのよ。 いったい何が起きているの?」
 リカルドの口が、可笑しくてたまらないように歪んだ。
「レンツォ様が、蜘蛛の網に引っかかったんですよ」
「蜘蛛の網?」
「ええ、それは大きな蜘蛛にね」
 リカルドは声をひそめ、書き物机に備え付けてある紙を一枚取って、図を描きながら説明を始めた。




 十五分後、ジリアンは跳ねるような足取りで階段を駆け上がり、姉妹の寝室に飛び込んだ。
 手には、リカルドの描いた相関図をしっかりと掴んでいた。
「ヘレン! マディ! すごいことがわかった!」
 箪笥の傍で服を出していた姉二人が、一斉に顔を上げた。 その横では、この屋敷の小間使いが、畳んだ衣類を丁寧にバッグに詰めている。 姉達だけでないのを見てとって、ジリアンは足を止めた。
 すぐにヘレンが小間使いに礼を言って、退室させた。 その後姿がドアの隙間から見えなくなると同時に、ジリアンは二人に駆け寄り、サイドテーブルの上に紙を広げた。
「見て。 これが、ジャコモ・ダレグリーニ長官一家の家系図。 二代前でアルディーニ家と枝分かれしてるでしょう? 親戚なのよ」
「それで?」
 右と左に分かれた系図を、マデレーンは不審そうに指でたどった。
「ジャコモ長官は、とても野心家なの。 ナポリだけじゃなくて、バーリやアマルフィまで勢力圏内に入れたいんですって。 だから、前から又従兄弟のアルディーニの財産と支援が欲しかったの」
「それはわかるわ。 だから?」
「ちょっと待って。 息が切れた」
 水差しからグラスにそそいで、グッと飲み干すと、ジリアンは熱い口調で続けた。
「で、ジャコモ長官は4年前に前の奥さんを病気で失くして、若いキアーラ夫人と再婚したの。 この人がとても美人で、しかも浮気性で」
 ヘレンがすぐ悟って、目をむいた。
「まさか、レンツォが……」
「その通り」
 マデレーンは、不愉快そうに手を打ち合わせた。
「私と婚約が決まりそうなときに、人妻と密会してたっていうの?」
「しかも、現場を押さえられたんですって」
 姉二人は、小さな悲鳴を上げた。
「最低!」
「その通り」
 ジリアンは、もう一度相槌を打った。
「罰に、殴り殺されても仕方ないのよね。 でも、ジャコモ長官は手加減して、代わりに別の提案をしてきたの」
「どんな?」
 姉達が身を乗り出した。 ジリアンは、ダレグリーニ家の系図の一番下を指で押さえた。
「この、長官の一人娘と結婚すること」


 ヘレンは無言で瞬〔まばた〕きした。
 マデレーンも、拍子抜けした顔で体を起こした。
「それって、レンツォにとっても良い縁談じゃない?」
「がっかりね。 両家とも喜ぶ良縁だっていうんじゃ」
「違うの」
 ジリアンはきっぱりと首を横に振った。
「このお嬢さんは、只者じゃないの。 今二十三歳になるんだけど、一度も申し込まれたことがないんだって」
「あの、それって、不細工ってこと?」
「そうじゃないらしい。 顔は普通か、普通より綺麗なぐらい。 ただ」
「ただ?」
「身長が六フィート(≒百八十センチ)、体重が二百ポンド(≒九十キロ)。 砲丸投げと大弓と護身術の名手なんですって」








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