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手を伸ばせば その72


 昼前に、ようやく屋敷の家族から説明があった。
 話に来たのは、オックスフォードに留学していたため英語が流暢な、次男のパオロだった。 彼は、談話室に集まって居心地悪そうに話し合っているデナム侯爵一家を見つけると、急いで入ってきて一礼した。
「朝からお騒がせして申し訳ありません。 実は昨夜、兄のレンツォが怪我をしまして」
「まあ、それでお加減は?」
 ジュリアが適度に心配そうな声を返した。 パオロはただちに彼女のほうを向き、丁重に語った。
「数箇所骨折していますが、命に別状はないそうです」
「何が起きたんだね?」
 パイプを取り出しながら、サー・ジェイコブが尋ねた。 パオロは一瞬眉を曇らせたが、すぐ冷静な表情に戻って答えた。
「落馬です。 夜道を無鉄砲に走れば、いつかは起こる事故で」
 ジリアンは瞬〔まばた〕きした。
 よかった! レンツォは追いはぎの件を言わないことにしたらしい。
 高価な一枚ガラスをはめこんだフランス窓を通して、外に目をやったヘレンが、小さく叫んだ。
「あら、どなたかがもうお見舞いにいらしたようだわ」
 それは、大きすぎるほど立派なシルクハットを被った紳士と、ベルベットのお仕着せをまとった二人の従僕だった。 大きな青い瞳を自分に向けているヘレンに気づくと、紳士は帽子に手をかけて軽く挨拶し、悠々とした足取りで表門の方角へ曲がっていった。
 後姿を目で追いながら、パオロが喉に引っかかったような声で言った。
「ジャコモ・ダレグリーニ閣下の秘書とお供です。 あの、侯爵ご夫妻にお願いなのですが、兄のことについて、両親がお話したいと申しておりますので、ご都合がよければ喫茶室においでいただけないでしょうか?」
「わかりました。 今かね?」
 サー・ジェイコブが尋ねると、パオロは緊張した面持ちで頭を下げた。
「そう願えると幸いです」


 パオロに連れられて両親が去っていった後、三人姉妹と兄のフランシスは暖炉の傍に椅子を集め、頭を寄せ合って話を始めた。
「パオロが青い顔をしてたわ。 見た?」
 これはヘレン。 フランシスがすぐ相槌を打った。
「そうだな、困ってる風だった。 奥歯に物が挟まってるみたいな言い方して」
「ジャコモ・ダレグリーニって、誰なのかしら」
 ジリアンには、シルクハットの紳士の登場がどうも気になった。 使用人たちの噂はすぐ広がるというが、それにしても、半日経たないうちに怪我の見舞いに来るのは早すぎる。 おまけに、ヘレンが使いの姿に気づいたとたん、パオロの態度が緊張した。 はっきりわかるほど固くなっていた。 あれは何なのか。
 すばしっこくて物知りなリカルドに訊いてみよう。 そう思い立ったジリアンは、噂と憶測に熱中している兄や姉たちを置いて、そっと立ち上がった。 横にいたマデレーンが、いぶかしげに顔を上げた。
「どこへ行くの?」
「ちょっと。 わかるでしょ?」
「ああ、そう」
 化粧室に行くふりをして、ジリアンは天井まで届きそうな壮麗な扉を開け、廊下に出た。








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