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手を伸ばせば その70


 一瞬で眠気が吹き飛んだ。
 ジリアンは布団をはねのけてベッドから飛び出し、ガウンの袖に腕を通す間も惜しんで、窓辺に駆けつけた。
 下の庭には、大きな蟻のように人々が群れ集まっていた。 まだ朝の光が充分ではないので、松明を手にした従僕が四人ほど、集まりの中央に腕を差し出している。 人々の頭に隠れて、上からではよく見えないが、そこには誰かがぐったりと横たわっているようだった。
 肘を軽く突付かれて、ジリアンは横を向いた。 ヘレンが真剣な表情で、窓から身を乗り出そうとしていた。
「何が起きたの?」
「わからない。 でも、イタリア語で、人殺し! って叫んでいるのが聞こえた」
「強盗かしら」
「決闘かも」
 背後で、マデレーンの小さな声がした。


 時計を見ると六時前だったが、もうのんびりと寝ていられなかった。 小間使いを起こすのは可哀想だから、姉妹は互いに手助けして、きびきびと服をまとい、数珠つながりになって寝室から出た。
 ジリアンが先頭になって、廊下の角を曲がったところで、フランシスが目に入った。 ガウン姿で、寝乱れた髪がばらばらに突き立っていた。
 ジリアンは心からホッとした。 兄はとっくに町から戻って、自分用の寝室で熟睡していたらしい。
 フランシスのほうも妹たちを発見して、すぐ近寄ってきた。 心なしか顔色が青く、目が血走っていた。
「凄い叫び声がしなかったか?」
「ええ、エミリア夫人の声で、アイユートって叫んでいたわ」
 ジリアンが声を潜めて答えると、とたんにフランシスはジリアンの腕を捕らえ、早口でせきたてながら、傍にあったアルコーヴに入り込んだ。
「こっちへ来なよ。 詳しく聞きたい」
 ヘレンとマデレーンがついてこようとするのを、フランシスは片手で押し止めた。
「お前たちは一度に話そうとするから、うるさいんだ。 下に行って様子を見ておいでよ」
 姉たち二人は、不満そうに顔を見合わせたが、逆らわずに手をつないで、階段を下りていった。


 二人きりになると、フランシスは大きく息を吐き、アルコーヴの壁に寄りかかった。
「ひどい夜だった〜! 一生分の冒険を一晩でしちゃった気分だよ」
「何があったの?」
 ジリアンは、新たに不安な気持ちになって、すがりつくように尋ねた。 固く目を閉じると、フランシスは低い声で話し始めた。
「昨夜早く、町へ行ったんだよ。 隣のラムズデイル兄弟を探しに。
 宿はすぐ見つかった。 ヴィットリア・ホテルに泊まってたよ。 あいつら面白いな。 特に弟のほうが」
「二人の性格はいいから、会った後に何が?」
 気が気ではなく、ジリアンは兄に詰め寄って胸元を引っ張った。
「わかったわかった、今説明するよ。
 それで、どうやってレンツォをやっつけるかという話になって、パーシーが、変装して追いはぎをやろうって」
 ジリアンは、床が陥没したかと思った。
「何ですって!」
「落ち着いて。 大声出すなよ」
 あわててフランシスは、妹を抱えこんで口をふさいだ。
「酒が入ってたからさ、すぐに相談がまとまって、黒いマフラーを切ってマスクを作って、村の傍の四つ角で待ち伏せしてたんだ。
 そしたら、レンツォがすっ飛んで帰ってきた。 あいつの馬は、額が白いだろう? すぐ本人だとわかったから、三人で道をふさいでやった」
「それで?」
 みんなで殴りつけたんだろうか。 ジリアンは耳を覆いたい気分だったが、最期まで聞きたくもあった。
 フランシスは、ちょっと肩をすくめた。
「あいつ偉そうに、どけっ! って言いやがった。 マスクして馬に乗ってる追いはぎにだぜ。 だから、パーシーが銃を出して……」
「銃まで!」
「ピストルがなきゃ、追いはぎできないだろう?
 ともかく、何とかレンツォを止めたんだ。 ハーバートが少しイタリア語を話せるから、金を出せ、と作り声で脅した。 そうしたら、レンツォは財布を引っ張り出してハーバートに押し付けて、僕たちの中を割って行こうとした。 むちゃくちゃ急いでたんだ」
「どうしてかしら?」
「すぐにわかったよ」
 フランシスの顔が厳しくなった。
「追われてたんだ。 道の向こうから沢山の蹄の音が聞こえてきたんで、僕たちは慌てて林に隠れた。 レンツォまでついてこようとしたから、銃を突きつけて、道に押し戻してやった。
 すると、五頭の馬に乗った追っ手が、あっという間にレンツォを取り囲んで、馬から引き摺り下ろした。 物も言わずに。 後はもうわかるだろ?」
「殴られたのね」
 兄の手の下から、ジリアンはもごもごと囁いた。
「そうだ。 喧嘩じゃない。 あれは制裁だった」
 フランシスは顔をしかめ、小さく首を横に振った。
「実力者の息子だとわかって、やっていたようだ。 レンツォのやつ、いったい何をしでかしたんだ?」









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