表紙目次文頭前頁次頁
表紙

手を伸ばせば その60


 レンツォが大股で玄関から入っていくのを、ジリアンは黙って目で追った。 思った以上に迫力がある。 この男を退却させるのは、なかなか難しそうだ。 ジリアンはいっそう闘志を掻き立てられ、背筋をまっすぐに伸ばした。


 すぐに階段の下から、華やかな歓迎の声が上がってきた。 ジリアンが踊り場から覗くと、エミリア夫人が珍しく大はしゃぎで長男に抱きついているのが見えた。 レンツォはどうやら、母親のお気に入りらしい。 少し離れて立っているパオロの白けた表情が、ジリアンには印象的だった。
 陽気なイタリア語を忙しく取り交わしながら、やがて人々は居間のほうへ移動していった。


 話し声が遠くなり、ドアの閉まる音が聞こえてから、ジリアンは大理石の広い階段をすべるように降りた。
 外は曇り空で、冷たい風が吹いている。 戸外好きのフランシスでも、今日は室内にいるだろう。 そう思って探していると、喫茶室の近くでリカルドに呼び止められた。
「レディ・ジリアン」
「はい」
 ジリアンはすぐ、いつもの制服姿に戻ったリカルドに駆け寄った。
 彼は、優雅に頭を下げ、きちんとした口調で言った。
「昨日はスザンナに親切にしてくださって、感謝いたします」
「そんなに改まらないで。 屋根は直った?」
「ええ、なんとか」
 リカルドはニコッと笑った。
「お兄様が図書室にいらっしゃいますよ。 もしお探しなら」
「ありがとう。 あなたも来られる?」
 リカルドは制服の襟レースを引っ張って整える間、ちょっと考えた。
「うまく抜け出せたら、半時間後には」
「待ってるわ」
 ウィンクして、ジリアンはハツカネズミのように素早く図書室にもぐりこんだ。




 フランシスは、壁を埋めた本棚の前を行ったり来たりしていた。 手に紙と鉛筆を持ち、視線を宙に浮かせて、なにやらブツブツ呟いている。 ジリアンが入ってきたのを見ても足を止めず、ただ声を大きくした。
「食べるものにも困っています、ていうのと、食べ物にも不自由しています、と、どっちがいいかな?」








表紙 目次前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送