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手を伸ばせば その44



 ジリアンは迷わずバルコニーの扉に手をかけて開き、冷たい大気の中へ飛び出した。 そして手すりに体を乗り出し、口をすぼめて小さく叫んだ。
「ハーバート!」
 低く刈り揃えられた花壇の縁をうろうろしていたハーバートは、急いで顔を上げた。
「ジリー!」
 彼が嬉しそうに建物に近づこうとするのを、ジリアンは手を振って止めた。
「待って。 せっかく来たのに、誰かに見つかって追い払われたら元も子もないわ。 そこの花壇の後ろにヘルメスの像があるの。 マディを見つけてすぐ連れていくから、像の傍にいて」
「わかった」
 灰色の二重コートと鳥打帽で地味に装ったハーバートは、素早く回れ右すると、木立の陰に消えていった。


 ジリアンは、洋服箪笥に飛びついて、マデレーンの衣装の中から裏地のついた暖かいウールのコートを選び、小脇に抱えて階段を下りた。
 談話室のドアを少しだけ開いて覗くと、年長の夫人たちは、まだ噂話に夢中になっていた。
 ヘレンとマデレーンは、ろくに知らない社交界の人々のゴシップに、いい加減飽きていたらしく、ジリアンが覗いているのを見つけると、眼を輝かせた。
 ヘレンが小さく咳をして、母たちの話を遮った。
「コホンコホン、あの、ごめんなさい。 お夕食までに、荷物を片付けに行っていいでしょうか?」
「まだ晩に着るドレスも出してなくて」
 すかさずマデレーンが後に続いた。
 いつの間にか仲間に加わっていた黒レース服の老婦人が、取っ手のついた眼鏡をかかげ、虫でも観察するように、ヘレンとマデレーンを交互に眺めた。
「私の若い頃は、親に決められたドレスを黙って着たものですけどね」
 母のジュリアは、猫脚の優雅なトルコ風カウチでくつろいでいたが、不自然に広がるドアの隙間を見逃さなかった。
「そこにいるのはジリアン? 覗いたりして行儀が悪いわよ。 こちらへ来て、カタリーナ令夫人にご挨拶なさい」
 見つかっては仕方がない。 ジリアンは、持ってきたコートをドアの横の花瓶置きの下に押し込み、談話室に入って、レースの老婦人にお辞儀した。
「これが末娘のジリアンです。 元気がいいのだけが取り柄で」
 柄つき眼鏡をジリアンに向けると、カタリーナ夫人は思いがけない答えを返した。
「そんなことはないわ。 姿勢がいいしスタイルも申し分ない。 何より動作が流れるように美しいから、あと二年もしたら、殿方が振り返るほどになるでしょう」
 明らかにジリアンに特別な興味を抱いたらしく、カタリーナ夫人は身を乗り出して、つくづくジリアンの全身を見定めた。
「この子を私に預けてくれないかしら? きっと社交界の花形にしてみせますよ」








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