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手を伸ばせば その42



 この声は!
 パッと顔を輝かせて、ジリアンは振り向いた。
 その拍子に右足がすべり、あやうく梯子を踏み外しかけた。 下に近づいていた青年は、その動きを予想していたらしく、すぐに手を差し伸べてジリアンの小柄な体を受け止めた。
「相変わらずおっちょこちょいだな。 少しは落ち着いたかと思ったのに」
「残念でした」
 青年の腕からすべり降りると、ジリアンは改めて力一杯抱きついた。
「フランク! 久しぶりっ! ずいぶん日に焼けたわね」
「おかげでそばかすが増えた。 おまえたちの作っている漂白化粧水を少し借りるかな」
 冗談を言って、兄のフランシスは大きな笑顔になった。 目の端に放射状の皺が刻まれ、普段は鋭すぎる顔に優しさが生まれた。
 ジリアンは、姉妹の中でも飛び切りの兄ッ子だった。 だから嬉しくて、ぴょんぴょん跳ねながら、フランシスと腕を組んだ。
「ねえ、大学で何か面白いことあった? ほら、友達のナイジェルが飼葉桶に頭を突っこんじゃった時みたいな」
「あることはあるが」
 兄は急に真面目になって、ジリアンの耳に顔を近寄せた。
「それよりお前知ってるか? この旅行、マディとここの息子を見合いさせるためらしいぞ」


 ジリアンはごくりと唾を飲み、目を見開いた。 自然に声が低くなった。
「ほんと?」
「ああ。 それも、本命は下のパオロじゃなく、長男のレンツォらしいんだ」
 フランシスは眉を寄せ、口で失礼な音を立てた。
「母上はいったい何を考えてるんだろう。 常識を疑うよ。 レンツォといえば、カサノヴァも真っ青な女たらしだぜ。 あんなのと結婚したら、一生不幸だ」
「家柄と財産で選んだのよ、きっと」
 ジリアンは落ち込んだ気分になった。
「お母様の判断基準は、体面だけなのかしら」
「それと、レンツォの誘惑の術に期待してるんだろ」
 フランシスは目をぐるりと回してみせた。
「聞いたよ。 マディの奴、隣に引っ越してきた学生と恋愛中なんだって?」
 たちまち、ジリアンは凍りついた。
「え? 誰から聞いたの?」
「父上からさ。 たぶん情報源はミス・ホッブスだ」
 あのお節介なスパイの家庭教師め! ジリアンはカッとなって、両手の拳を握りしめた。
「マディはまだ十七よ。 婚約なんて早すぎる!」
「そんなことはない。 結婚したっていい年だ」
 フランシスは、強ばったジリアンの肩に手を置いた。
「でも、この婚約は僕もぶっ壊したい。 マディは泣き虫だから、不幸にすると一生愚痴を言われる。 やりきれないからな」
「二人で計画を立てましょう」
 断固とした口調になって、ジリアンは顎をそびやかした。
「ヘレンは?」
「お姉さまは当てにならないわ。 お母様の味方についたみたいなの」
 ヘレンとマデレーンの間に冷たい空気が流れているのを思い起こして、ジリアンはまた気持ちがふさいだ。








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