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表紙

手を伸ばせば その41



 チシャやトマト入りのスープと、チキンの包み焼きという昼食は、濃厚な料理に慣れたクリフォード一家には、少し物足りない淡白な味だった。
 その代わり、デザートのカスタードクリーム入りケーキ、スポルカムッセは、家族全員が誉めそやすほど美味しかった。 エミリアは気を遣って、普段はあまり飲まないらしい上等な紅茶を用意してくれたので、お菓子とダージリン・ティーで食卓は大いに盛り上がった。


 食後、男性たちは煙草を吸える談話室に去り、女性一同は隣の居間に入って、おしゃべりを楽しんだ。
 残念ながら、ジリアンはまだ子供扱いだった。 年端のいかない小娘がいては噂話もままならない、ということで、早々に居間を出され、散歩でもしてきなさい、と言われた。


「いくらイタリアだって、こんな年末に庭がきれいなわけないじゃない」
 ぶつぶつ言いながら、ジリアンは白と黒の大理石を幾何学模様に並べた美しい廊下を歩いていき、壁の緞帳をかけ直している従僕を見つけて、図書室のありかを尋ねた。
 白い17世紀風の鬘(かつら)を被った背の高い従僕は、すぐに踏み台を降りて案内してくれた。 両開きのドアを開くと、室内テニス場かと思うほど広々とした部屋には、壁一面に革表紙の本が並べられていて、ジリアンには天国に見えた。
「すごい!」
 若い従僕は、うっとりと両手を胸の前で組み合わせたジリアンを見て、愉快そうな顔になった。
「本がそれほどお好きですか?」
 彼は、パオロと同じぐらい流暢に英語を話した。 訛りもほとんどない。 興味を引かれて、ジリアンは振り返った。
「英語がお上手ね」
「母がイギリス人で」
 動作はいかにも南ヨーロッパ風に、従僕は肩をすくめてみせた。
「親父と喧嘩するとき、いつも英語になるんですよ。 何と罵っても相手にわからないと思ってね」
 ジリアンはくすくす笑った。 なかなか面白い男の子だ。
「案内してくれてありがとう。 お名前は?」
「リカルド・パルヴォーネです。 リカルドとお呼びください」
「ではリカルド、私はジリアンで、クリフォード家の三女よ。 しばらく滞在しますので、よろしく」
「かしこまりました、レディ・ジリアン。 ご用があれば何なりと」
 青年は頭を下げて優雅に一礼し、笑顔を残して廊下に出ると、静かにドアを閉めた。


 子供扱いのミス・ジリアンではなく、正式にレディを付けて呼ばれたので、ジリアンは気をよくして、立派な本棚を探検し始めた。
 多くはイタリア語の実用書や詩集、戯曲集 などのようだった。 上のほうにはラテン語の本がずらりと並んでいて、手近なところにはシェイクスピア全集などイギリスの本もあった。
 ジリアンは、兄がパブリックスクールで使ったラテン語の教科書を貰って自習したため、ある程度読むことができた。 それで、本棚の上部を見ようとして、移動式の梯子に上り、小型の本に手を伸ばした。
 そのとき、表に面した掃き出し窓の開く気配がして、響きのいい男性の声で呼びかけられた。
「何してるんだい、おちびさん?」








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