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表紙

手を伸ばせば その37



「まだお父様が乗ってこないから、開けておかないと」
 姉妹を代表して、一番気の強いジリアンが母に告げた。 すると、ジュリアの声は一段と苛立ちを見せた。
「ジェイコブは自分でドアを開閉できるはずよ。 さっさと閉めなさい」
 困ったジリアンが視線を向けると、ヘレンは無言で肩をすくめた。 半年会わない間に、母は更に頑固になり、身勝手度が増したらしい。 セーブルのコートにくるまって、ゆったりと座席を占領している姿は、美しさの盛りに見える。 しかし、母の心は一足先に衰えて、自分のことしか気にかけない偏屈な老人になりつつあるようだった。


 ジリアンは、仕方なくドアを閉めたものの、間もなく急いで押し開けた父に、頭ごなしに怒られる羽目になった。
「わたしを忘れるとは、なんと親不孝な娘だ!」
「すみません、お父様」
 おとなしく詫びるジリアンを見かねて、ヘレンがそっと口を挟んだ。
「せっかく暖まった車室が冷えると思ったのよ。 ね、ジリー?」
「石炭ストーブが備え付けになっとるじゃないか。 もっと火を大きくしなさい」
 侯爵はぶつぶつ言い、奥の座席へ向かった。 コートを従僕に脱がせてもらいながら、じろっと向かいの座席に目をくれたところを見ると、ドアを閉めさせた張本人が誰か、察しているらしかった。
 ジュリアはまったく知らん顔で、ものうげに優雅な腕を伸ばし、体に巻きつけていた毛皮を横へ押しやった。
「ジリアン、久しぶりに会ったのにお母様に挨拶もしないの?」
 そう言われて、ジリアンが母のほうへ行こうとしたとき、汽笛が鳴り、列車が動き出した。 ジリアンはよろめき、とっさに窓枠に掴まった。
 窓ガラスの向こうには、枯れた草原がどこまでも伸びていた。 ところどころに雪が消え残り、白や灰色の縞模様になっている。 侘しい光景だった。
 イタリアは、まったく違う景色だろう。 料理がおいしいと聞いた。 街も賑やかで、あちこちから歌声が響いてくるとか。
 ようやく、ジリアンは旅に出る実感がしてきた。 知らない都市。 珍しい風物。 まだ十代半ばなのに外国へ行かせてもらうなんて、すばらしいことなんだ。
 胸が躍ってきた。 まだ見ぬ世界に思いを巡らせていると、背後から高い声が飛んだ。
「ジリアン! 挨拶は?」
 ああ、そうだった。
 目が醒めたように、ジリアンは窓を離れて、厳格な母に近づいていった。








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