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手を伸ばせば その35



 父の侯爵は、末娘が元気な男の子二人に手を引かれ、薄暗くなってから戻ってきたのを知っても、鞭は出さなかった。
 その代わり、低い声で挨拶するエンディコットを空気のように無視し、少年たちを冷たい目で睨みつけながら、ジリアンに命じた。
「自分の部屋へ行って、中で謹慎しているように。 今日の夕食は抜きだ」


 ジリアンは、さっと顔を上げた。 まるで子供に対する罰だ。 反論しようとしたが、父の横顔が常になく強ばっているのに気付いて、口を閉じた。
 他には誰も声を出さなかった。 ジリアンが階段を上っていった後、侯爵はまっすぐエンディコットに視線を当てた。
「それで、君は何者なんだ?」
 知性を感じさせるエンディコットの茶色い眼が、きらりと光った。
「ラムズデイル家の家庭教師です。 この子たちはコリンとリュシアンで、ミス・ジリアンにクリスマスの贈り物を頂きました」
「ジリアンは、はねっかえりの仔馬のように見えるが、あれでも十一月で十五歳になった。 付き添いなしで遊び回る年齢ではないのだ」
「しばらく旅行で留守にするからと、この子たちにお別れを言いに来てくれたんです」
 威厳のある侯爵に落ち着いた態度で言い返すエンディコットを、少年たちは驚きと、ちょっぴり尊敬の混じった眼差しを向けていた。
 後押しをしなければと思ったらしい。 リュシアンが、いくらか震える声を張り上げた。
「プレゼントありがとうございます! ジリーは優しくて、お姉さんみたいな人なんです」
 侯爵の顔が、ぎゅっと手をつなぎ合っている少年たちの方を向いた。 だが、緊張した小さな姿を見ても、表情は緩まなかった。
「ラムズデイルとは、シルバーレイクを買ったという家族かね?」
「はい、そうです」
 コリンが胸を張って答えた。 すると、侯爵はわずかに瞼を下ろし、さげすむような目つきになった。
「港で商売をしているという噂だが、そうなのか?」
「はい。 父さん……お父様は数字に強いんです」
 エンディコットは一歩前に出て、静かに口を挟んだ。
「サー・ジェイムズは、三月に従男爵の位を頂きました」
「なりたてのほやほやというわけだな」
 今度は明らかに嘲笑がこもった言い方だった。 リュシアンはきょとんとしただけだったが、コリンの顔にはムッとした表情が表れた。
 刺繍をほどこしたスモーキングジャケットの襟を軽く撫でると、侯爵はそっけない声音で、目の前の三人に言い渡した。
「さっきも言った通り、もうジリアンは遊び回る年ではない。 イタリアから戻ったら、しかるべき学校を探し、来年には行かせるつもりだ。 だからして、今後はうちの娘の好意を、あまり期待しないでもらいたい。
 それではこれで」


 ジリアンは、自室のカーテンを動かして、窓から前庭を窺〔うかが〕った。
 間もなく、エンディコットの大きな姿と、ラムズデイル兄弟の小さな体が、弾き出されるように玄関から現れた。
 三人は、明らかに怒っているようだった。 少年たちは肩をそびやかし、ずんずんと正面階段を下りて歩き出したが、十数歩行ったところでいきなり足を止め、身をかがめて何かやり始めた。
 雪玉を作っているらしいと気付いて、ジリアンは顔がほころぶのを押さえ切れなくなった。
 あの子たちったら、玄関にぶつけるつもりらしい。
 うっぷん晴らしはもっともだが、厳格な侯爵は子供の反抗が大嫌いだ。 そんないたずらをしたら、問答無用で出入り禁止になるだろう。
 ジリアンは、素早くバルコニーに出ると、少年たちに大きく手を振った。
「コリン! リュース!」
 忙しく動かしていた手を止めて、二人は首を回し、上階のジリアンを見つけた。
「ジリー!」
「だめよ! 私とまた会いたいなら、雪を投げちゃだめ!」
 小声で叫びながら、ジリアンは胸の前で腕を交差させ、バツの形を作った。
 少年たちには、すぐ通じた。 コリンがまず雪を地面に落とし、大きく肩をすくめてみせた。 それからジリアンに思い切り手を振って、別れの挨拶をした。
「はやく帰ってきてね〜」
「また遊ぼうね!」
 その横で、エンディコットが帽子に手をかけるのが見えた。 ジリアンは、彼にも頭を軽く下げて、別れを告げた。
 また降り出した雪が風に舞う中、三つの影が夕暮れの道を遠ざかっていくのを、ジリアンはしばらく見送っていた。
 無邪気に楽しかった少女時代が彼らと共に去っていくような、わびしい気持ちを胸に抱いて。








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