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表紙

手を伸ばせば その27


 九月の半ばに強い西風が吹き、例年にない寒さをもたらした。
 木々は一斉に冬支度を始め、間もなく丘は鮮やかな黄色に染まった。


 去る準備をしているのは、木の葉だけではなかった。
 ロンドンかウェストミンスターのフィニッシングスクールに入るはずだったマデレーンが、いきなり母の指令で、スイスの女子学校に留学することが決まった。
 手紙を受け取って、マデレーンはまた泣きじゃくった。 これから丸二年も、外国暮らしをしなければならない。 おまけに、クリスマス休暇には、ここの屋敷に戻らず、一家をあげてイタリア旅行する予定が組まれていた。


 マデレーンが放り投げた手紙を、ジリアンは拾って目を通した。 読んでいるうちに、ある疑惑が灰色の雲のように心を覆った。
 母は、マデレーンを英国から、つまりハーバートから引き離そうとしているのではないだろうか。
 手紙を乱暴に畳んで書き物机に置くと、ジリアンはベッドに近づいて、マデレーンの横に腰を下ろし、肩を抱いた。
 マデレーンは、上掛けに身を投げてすすり泣いていた。
「楽しみにしてたのよ。 ロンドンとケンブリッジはそんなに離れてないでしょう? 馬を飛ばして、ハーブが会いに来てくれるって言ったから」
「誰かがお母様に告げ口したのよね」
 ジリアンはいまいましげに呟いた。 そんなことをするのは、一人しか考えられなかった。
「ホッブス先生のポケットにも蛙を入れてやろうかしら」
 悲しみに沈んでいても、マデレーンは笑いを押さえられなかった。
「まあ、ジリアンたら」
「だってあの人に決まってるわ。 お母様のスパイをしてたのね。 用心しなくちゃ」
「雇われてるから、仕方がないのよ」
 妙に悟ったことを言うと、だるそうにマデレーンは身を起こした。
「いいわ、別に刑務所に入れられるわけじゃないんだし、本物の恋なら、来年まで会えなくても消えないはずだわ」
「そうね、文通すれば……」
 いや、母は手を回して、届かないようにするだろう。
 そう気付いたジリアンは、悪知恵を働かせた。
「直接は無理ね。 私宛に手紙を書いて。 ケンブリッジに届けるから」
 マデレーンはパッと顔を上げた。 現金なほど明るくなっている。 うるんだ眼に入りかけていた金髪の一房を払いのけると、マデレーンは声を弾ませた。
「ありがとう! 毎日書くわ。 もちろんあなたにも。 ジリーだってスイスに行かされるかもしれないから、参考になるようにね」
「それはどうかしら」
 醒めた口調で呟くと、ジリアンは姉の背中を優しく叩いて、立ち上がった。




 あと一週間で十月という朝、マデレーンは家庭教師のホッブスと荷物持ちのダグに付き添われて、クインシー駅から旅立った。
 その朝は、ラムズデイル家の三男と四男も見送りに来た。 どうしても行くとエンディコットを説き伏せて、馬車に乗ってやってきたのだ。
 二人はそれぞれマデレーンに抱きついてお別れをした後、両側からジリアンの手を握り、真面目な顔で汽車の出発を見守った。
 窓から振るハンカチの、目に染みるような白が、次第に遠ざかっていき、やがて点になって消えるまで、四人はホームに立っていた。
 それから、ジリアンはゆっくりと向きを変え、歩き出した。 コリンとリュシアンは、まだ手をつないだままだ。 その横を、家庭教師のエンディコットが歩調を合わせて、のんびり進んだ。
 やがて、リュシアンがぽつりと言った。
「寂しくなるね」
 コリンが急に胸を張って言い返した。
「ジリーがいるもん。 寂しくないよ」
 ジリアンが気を取り直して、二人の少年に笑いかけたとき、横を人が通った。
 静かな田舎の駅は、それまで四人以外の人間がいないように見えた。 人影は、朝霧の中から不意に現れ、長いマントをひるがえしながら通り過ぎていった。
 ジリアンが顔を向けると、頭ひとつ分ぐらい上の位置に、ブルーグレイの眼が見えた。 彼が帽子の庇に手をやって軽く頭を下げたので、ジリアンも小さく挨拶を返した。
 数歩行ったところで、コリンが声を出した。
「軍人さんだね。 背が高くてかっこいいな」
「海軍だよ、青い服着てたから。 ね、そうでしょう、先生?」
 エンディコットはうなずき、ジリアンに視線をやった。
「お知り合い?」
「いいえ」
 ジリアンは首を横に振った。 だが、どこかで彼を見たような気が、ふっとした。










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