表紙目次文頭前頁次頁
表紙

手を伸ばせば その24


 横を見ると、マデレーンとハーバートが熱心に話し込んでいる。 ジリアンの存在を忘れているらしい。 これなら、傍にいなくてもかまわないだろうと思い、ジリアンはベンチから立ち上がって、車両に近づいた。
 パーシーは、昇降口に寄りかかるようにして立っていたが、ジリアンが来ると、いきなり手を掴んで車に乗せてしまった。
 とっさのことで、振り切る暇もなかった。 ジリアンは狭い通路に引き込まれ、脱げそうになった帽子を押さえながら、怒りの声を上げた。
「何するのよ」
「気がきかないな。 発車まで後五分しかないんだぞ」
「だから?」
 どうしようもないという表情で、パーシーは低い天井を見上げた。
「見てみろよ、窓から」


 帽子に手を置いたまま、ジリアンは窓に身を寄せた。
 そして、動けなくなった。
 ベンチの横に、ハーバートとマデレーンが立ち上がっていた。 ただ立っているだけでなく、二本の宿り木のように、相手の体に腕を回して、固く抱き合っていた。


 ジリアンの呼吸が早まった。 心臓がどきどきする。 目も光が入ったように眩しいのに、二人の姿から視線をそらすことができなかった。
 横にパーシーが来た気配がして、前髪に息がかかった。
「ずっとお互いに意識してたんだ。 できるだけ目を合わせないようにしてたが、相手が後ろを向いてるときなんかに、よくじっと見つめてた」
「どうしてわかったの?」
 二人に聞こえる距離ではないのに、ジリアンは無意識に声を落として尋ねた。
 パーシーの話し方に、かすかな苦さが加わった。
「離れてたからさ。 遠くからだと、傍にいるより見えることがあるんだ」
 ジリアンの指が、窓枠を強く掴んだ。 姉とハーバートは、しっかりと抱き合っていただけだ。 今、ゆっくりと体を離した。 別れのキスさえしないで。
 でも、二人は見つめ合っていた。 まるで周囲に世界が存在しないように。
 ああ、どうしよう、と、ジリアンは思った。 不安定なシーソーで揺れている気分だった。 父は説得できるかもしれない。 だが、母は二人の交際を許さないだろう。 社交界の花で、これからも娘たちを大貴族に嫁がせて更に地位を高めていこうと野心に燃えている母は、従男爵の商人との縁組など、決して認めないはずだ。 たとえ相手が次女であろうとも。


「いやな顔してるな」
 耳元でパーシーが言った。 振り向かず、ジリアンはそっけなく答えた。
「考えてるのよ。 二人が傷つかないために、何をすればいいか」
「もう噂になりそうだな」
 のんびりと呟いて、パーシーはガラス越しに、ホームの端から睨んでいる中年女性を指差した。 それは、アボッツ村の薬剤師、カラザース氏の夫人セルマだった。
 ジリアンは昂然と顎を上げた。
「あんな噂好き、どうにでもなるわ。 私が行って、ハーバートに抱きついてくる。 それで、ただのお別れの挨拶ってことになるわ」
「その前に」
 パーシーの声が一段低くなった。
「俺とも別れの挨拶をしてくれ」

 
 言葉と同時に、ジリアンはふわっと持ち上げられた。 通路の壁に背中がついたとたん、唇が重なった。









表紙 目次前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送