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手を伸ばせば その19


 なんて気の早い。
 ジリアンは、姉の言いたいことは百も承知で、わざととぼけた。
「どうかしら。 小説なんかには書いてあるけど、本当に目の前に火花が散ったり、世界がバラ色に見えたりするの?」
「え? いや、そんなふうには……違うわよ! 私が一目惚れしたわけじゃなくて」
「じゃ、相手がマディに?」
「何言ってるの!」
 妹の冗談に、マデレーンは顔を染めて身を翻し、ずんずんと先に歩いていってしまった。


 考えこみながら、ジリアンはゆっくりと姉の後を追った。 辺りはすっかり暗さを増し、木陰に入ると自分の靴の爪先が見えないほどだった。
 そこで、ジリアンははたと気づいた。 もういつもの夕食時間を過ぎているではないか。
 父は規則正しい人だ。 娘たちが門限に遅れたのをたやすく許してはくれないだろう。 ジリアンは小走りになって、前を行くマデレーンに並んだ。
「もうディナーは始まってるかしら」
 すぐマデレーンの顔にも不安が浮かび、手が口元へ動いた。
「そうだ、今日はお父様がいたんだ。 すっかり忘れてた!」
 二人は、スカートをからげて全速力で走り出した。


 幸いに、というか、ある意味寂しいことだが、父はもう家にいなかった。 下の娘二人には、ほっつき歩いてばかりいないできちんとレディになる教育にいそしむように、と言い残して、姉のヘレンを連れて午後のうちに出発してしまっていた。




 だから、イングランドで一番晴れの続く東サザンプトンシャーで、ジリアンとマデレーンは長い夏の日々を思い切り遊んで過ごした。
 ヘレンを両親に取られたから、家に帰ると寂しい八月だったが、その代わり、外に出ると隣の軍団がいた。 家庭教師のミス・ホッブスに昼寝の習慣があるのをいいことに、マデレーンとジリアンは毎日のように午後を男の子たちと過ごした。
 遊びは多岐〔たき〕に渡った。 育った環境の違いが、良いほうに作用した。 少年たちは姉妹に、下町の鬼ごっこや石蹴り、水辺への石投げなどを教え、ジリアンたちのほうはテニスやクロッケー、ゴルフのやり方を伝授した。
 釣りは、両家族共通の趣味だった。 ハーバートは何時の間にか、みんなの世話役になり、弟たちばかりか姉妹の釣り針にも餌をつけたり、取れた魚を網で受けたり、始終動き回って、席を暖める暇もないぐらいだった。
 だが、間もなくジリアンは気づいた。 下の弟たちをまとめているのは、ハーバートではなくパーシーだった。 口数が少ないため目立たないが、たまに大声を出すと、リュシアンだけでなくコリンも一発で黙り、いたずらを止めた。







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