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手を伸ばせば その10


 ジリアンとマデレーンは、さっそくヘレンの部屋へ押しかけて、父が何を言ったか詳しく聞き出すことにした。
 三人姉妹は、ヘレンが十一歳になるまで、子供部屋を共有して使っていた。 だが、誕生日の翌日から、まずヘレンが一人部屋に移され、二年後にはマデレーンにも個室が与えられた。
 ジリアンは、去年まで広い子供部屋に残された。 つい忘れられていたのかもしれない。
 姉たちが去るたびに、寂しくてしばらく寝付けなかったベッドだが、遂に自分専用の部屋ができても、ジリアンは子供部屋を離れたがらなかった。
「後がいないんだから、ここでいいじゃない」
 珍しくただをこねる末娘を、メイド頭のマギンティがたしなめた。
「物事には筋というものがあります。 レディになる方がいつまでも幼児の部屋にいるのは、ふさわしくないことです」
「じゃ、この部屋の名前を変えればいいわ。 末っ子の道具部屋とか」
「だめです。 ここにはちゃんとした衣装箪笥がないし、大きな鏡もありません。 三階のお部屋には、お姉さまたちと同じ真っ白な天蓋付きのベッドとウェッジウッドの洗面セット、それと金縁の大鏡に、白熊の毛皮の素敵な敷物まであるじゃないですか」
「わかった。 妥協するわ」
 ジリアンは小さなため息をつき、漆喰で唐草模様をつけた美しい天井を見上げた。
「あの毛皮を取っ払ってくれたらね。 頭がついてるなんて悪趣味よ。 いつも睨まれてるような気がするの」


 銀色とベビーブルーで統一したヘレンの部屋には、毛皮の敷物はなかった。 磨きこまれた木の床には、ほぼ全面に細かい薔薇模様のモケット絨毯が敷かれ、女らしい雰囲気をかもし出していた。
 二人の妹が入っていったとき、ヘレンは張り出し窓に置いたクッションに腰掛けて、外を眺めていた。 その整った横顔は、淡い憂いに覆われているように見えた。
 だが、軽い足音を聞いて目を向けたヘレンは、明るい表情に変わっていた。
「あら、揃ってどうしたの?」
 たちまち二人は、ヘレンを挟んで長クッションの右と左に座り込んだ。
「またロンドンへ行くんですって?」
「秋には、今度こそオールマックスにデビューね! ヴォクスホールにも行けるのかしら」
「オールマックスは、気ばかり使って退屈だって聞いたわ」
 ヘレンは、つまらなそうに答えた。
「この夏はずっとここにいられると思ったのに、残念だわ」
「変よね、社交シーズンは六月で終わって、上流社会の連中はあっちこっちの避暑地に散っているのに」
 そのとき、ヘレンの頬がかすかに引きつるのを、ジリアンは目ざとく見てとった。
 遠慮なく体を乗り出して、ジリアンはそっと尋ねた。
「まだロンドンに残ってる人がいるの? 誰か、お母様がお姉さまに逢わせたい人が?」
「馬面のロデリック以外にね」
 マデリーンが、思いがけなく辛辣〔しんらつ〕なことを言った。
「顔も長いけど、何より笑い声が嫌よ、あの人。 ロバがいなないてるみたいなの」
「へえ、笑い声なんて、いつ聞いたの?」
「さっきよ。 ヘレンが前にいるから緊張しちゃって、何度も笑うの。 痙攣したみたいに」
 三人がひとしきり爆笑した後で、ヘレンが真顔になってたしなめた。
「わざわざ寄り道して来てくれたんだから、悪く言っちゃ気の毒だわ」
「私はあの人そんなに嫌いじゃない」
 ジリアンはマデレーンの手を取って、誕生祝に父が贈ったピンク珊瑚の指輪を外したり嵌めたりし始めた。
「使用人に思いやりがあるから。 厩番のディッキーの帽子が破れてるのを見て、新しいのをお買いって言って一シリング渡したのよ」
「やめて。 緩い指輪がますます外れやすくなっちゃう」
 妹から指を外すと、マデレーンは窓に手をかざして、うっすらと赤い血管が透けてみえる白さをつくづく眺めた。
「手には自信があるのよ。 他はお姉さまに負けるけど」
「そんなことはないわ」
 静かにヘレンは言った。
「マディは髪だって緩やかなウェーヴで、絹みたいにきれいじゃない? ゴスおじさまが言ってたけど、私は今の流行に合ってるだけなのよ。 小柄で金髪で、扱いやすく見えるというだけ」
「そういえば、うちは一家みんな金髪ね。 お隣は黒から薄いプラチナブロンドまで入り混じっていたわよ」
「お隣?」
 ヘレンはいぶかしげに眉を上げた。
「どのお隣? マーチソンさんはご夫婦だけだし、どちらも茶色の髪だし」
「シルバーリークよ。 新しい住人が引っ越してきたの」
「そうなの?」
 二人の姉が声を揃えた。
 







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