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表紙

手を伸ばせば その7


「ジリー嬢さん、こんなに大勢の男……いや、坊ちゃん方と、付き添いなしで川へ行くなんていけません。 そんなことを許したら、この爺が奥様に何と言われるか」
 耳元であわただしく囁かれて、ジリアンは肩を落とした。
 鱒は短い夏の間、連隊を作ってホワイトロック川をうねるように泳いでいる。 特にたくさんいる川岸を、ジリアンは知っていた。 手網〔たも〕でもすくえそうなほどの群れをなしているのだ。
 去年はスカートをたくし上げてベルトに挟み、ストッキングを脱いで水に入ったものだ。 すごく面白かったのに。


 気を取り直して、また座席に腰を落ち着けると、ジリアンはコリン少年特定で微笑みかけた。
「やっぱり買い物に行かなくちゃ。 川はね、ホワイトロックといって、この道をまっすぐ北へ行ったところにあるの。 バーリントン橋の近くは穴場じゃないけど、そこそこ釣れると思うわ」
「ありがとう、ミス・ジリアン!」
「今度一緒に行こうね」
 横にいた巻き毛のリュシアンが、おっとりした声で呼びかけた。 ジリアンは、長男のハーバートに似た細面の少年にも、ひまわりのような笑顔をサービスした。
「ええ、マディも来ると思うわ」
「マディって誰?」
「すぐ上の姉よ。 私より美人」
「もっと他にお姉さんがいるの?」
「いるわ。 一番上がヘレン。 マディよりもっと美人よ」
「へえ」
 コリンが目を丸くして言った。
「ミス・ジリアンより綺麗な人が二人もいるなんて、びっくりだな」
 まちがって泥をぶつけてしまったからって、そこまでお世辞を言わなくても、と、ジリアンは可笑しくなった。
「ありがとう。 下の二人はともかく、ヘレンには期待して。 じゃあね」
 ジョンが帽子の縁に手をかけてハーバートに挨拶し、馬車を出した。 少年二人が元気に腕を振り、ジリアンも手を上げて別れの挨拶をした。


 ゆるやかにうねった本道を去っていく馬車を、四人兄弟は少しの間見送った。
 今年二十歳になるハーバートが、強い夏の光に目を細めて呟いた。
「確かにいい子だな。 コリン、おまえが言ったとおり」
「あの人、美人じゃないの?」
 首を傾けて、小さくなっていく馬車を見つめたまま、リュシアンが不思議そうに訊いた。 すると、ハーバートではなく、ただ一人きちんと正装したままのパーシーが答えた。
「美人なもんか」
 下の二人は、同時にふくれっ面になった。
「どうして!」
「きれいだよ、ね、ハーブ?」
 ハーブと呼ばれたハーバートは、大人の余裕で微笑した。
「そうだね、可愛いと思うよ。 そのうち綺麗になるかもな」
「ならない!」
 不機嫌な声を出して、パーシーはさっさと道を歩き出した。
「ホワイトロックとかいう川へ行くんだろう? さっさと行こうぜ」
 早く川に着いて、この気持ち悪い服を汚し放題にしてやる、とパーシーは決めていた。 泥投げをそそのかしたのはパーシーだった。 なのに、コリンは腕力の強い彼を敬遠して、身近なリュシアンに泥をぶつけた。 それで、たまたま通りかかったジリアンにまともに命中するという、具合の悪いことになってしまったのだ。


「きれいになんかならなくていい。 今のままで」
 早足で歩きながらパーシーが呟いた独り言は、兄弟の耳には届かなかった。








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