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表紙

手を伸ばせば その5


 古い上っ張りを脱いで、青のモスリンの散歩着と揃いのボンネットに換えると、ジリアンはバネ仕掛けのように階段を二段飛ばしで駆け下り、南の通用口で待っていたジョンの馬車によじ登った。
「お許しが出たわ。 さあ出発!」
「ジリー嬢さんは要領がいいねえ」
 ジョンが口をほころばせると、灰色の髭が割れて、丈夫そうな前歯が見えた。
「またレディ・ラモントから小遣いをせしめたんでしょう?」
「刺繍糸を買ってきてあげるのよ」
 ジリアンは澄まして答えた。
「頼まれたんだもの」
「まったく、あの奥さんもいつまで居座るつもりなんだか」
 相手がジリアンだと、ジョンは遠慮なく物を言う。 頭がよく回って、よけいな告げ口をしないのを知っているからだ。
「旦那の男爵が死んで、看病疲れを癒すためにちょっと泊まりに来たんでしょう? そのちょっとが、もうじき三年だ」
「大叔母様は寂しいのよ、きっと」
 ジリアンは悟った口調になった。
「でも、確かに長いわよね。 ヘレンが愚痴を言ったら、ホッブスさんが言ったのよ。 レディ・ラモントは、美貌と財産と家柄に恵まれた貴方への試練です、心して乗り越えなさいって」
 姉妹の家庭教師エラ・ホッブスは見当違いのお説教をするので有名だが、さすがにこれは不謹慎だと、ジョンは思った。
「レディ・ラモントを障害物扱いするのかね、あの生意気な家庭教師は」
「つい口がすべったんでしょう。 本心が出てしまったとか」
 小さくため息をついて、ジリアンは硬い板の上で腰を浮かせ、楽な姿勢に座り直した。
「ちょっとショックなのは、ホッブスさんが『貴方』と言ったことよ。 『貴方たち』じゃなくて」
 これは聞き捨てならない。 ジョンは運転席で体をよじり、じっくりと少女の横顔を観察した。
「いいかい、ジリー嬢さん。 確かに今はヘレン嬢さんがお家一番の美人だ。 だが、あと三年か四年すれば、あんたはたまげるほど綺麗になる。 このジョン爺が保証するよ」
 ジリアンはプッと噴き出し、右手を伸ばしてジョンの膝を優しく叩いた。
「そんなの、ひいき目よ。 でもありがとう。
 ほんとのこと言うと、美人でなくても私はマディほど気にしてないの。 私はね、いつか好きな人ができたら、その人にだけは可愛いなって思ってほしいの」


 ジリアンが夢見るように言い終わったそのとき、いきなり何かが唸りを上げて飛来して、ジリアンの肩にビシャッと当たった。


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。 ただ、片方の眼が急に見えにくくなったため、ジリアンは反射的に指でこすった。
 賑やかな叫び声がして、左側に広がる木立の中からどやどやと男の子たちが飛び出してきた。
 ひときわ大きい青年が、停まろうとしている馬車を見て、ハッと息を呑んだ。
「これは……! すみません、何てことだ!」










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