表紙

水晶の風 58


 途中、思わぬ工事現場を迂回したりして、予想より少し時間がかかった。
 途中、ドライブインで止まり、もうじき行くからと電話しようとしたが、きまりが悪くてできなかった。 黙って去ったことが、今更のように重くのしかかってくる。 二度と会わないと思っていた頃ならよかったが、こうなってみると…… 携帯を見つめているうちにいらいらしてきたので、到着するまで電源を切ることにした。

 田園風景を過ぎ、道幅が広がって家並みが密になり始めると、見覚えのある建物が次々と目に飛び込んできた。
 鼓動が速くなった。 そして、不規則になった。 腿の筋肉が固まって、アクセルとブレーキを踏み間違えかけた。
 会いたくてたまらないけれど、会うのが怖かった。


 車は、少し離れた小路の中に停めた。 そして、少しぐずぐずしてから、外に出た。
 たいていは元の通りだった。 街灯は相変わらず淡い光を路面に投げかけていたし、どっしりした菱野家の門もそのままだった。
 ただ、通用口はピシッと閉まって、鍵がかけられていた。 電話する勇気がないのに、インターホンを押せるわけがない。 検事の身でありながら、和基は塀をぐるっと回って歩き、手ごろな場所を探して、こっそりと庭に入りこんだ。

 一階の居間と、二階の一室に、電気が点っていた。 麻耶はどっちにいるだろう。 迷いながら庭を忍び足で歩いていると、不意に居間のサッシが勢いよく開いた。
 ぎょっとなって、和基は反射的に大きな植え込みの陰に腰を落とした。
 乱暴にサンダルを突っかける音がして、バタバタと誰かが庭に出てきた。 すぐに声が追いかけた。 胸が締めつけられるほど懐かしい声が。
「怒ってもしょうがないわよ。 悠ちゃんのせいじゃないわ」
「あいつウソつきだ!」
 悠香が近所を気にしながらも、キンと喉を詰めた声で言い返した。
「世渡りのうまい奴ってみんなそう! 電話するよ〜とか言ってその場ごまかして、平気ですっぽかすんだ」
「仕方ないよ」
 麻耶は諦めの境地らしかった。
「私たちのこと告発しないでくれただけでも、ありがたいと思わなくちゃ」
「ムカつく! ちょっと飲んでくるわ」
 肩を怒らせて門に向かう悠香の背中を覗き見て、和基は自分の失敗を悟った。 電話の電源を切るべきではなかった。 たぶん悠香は、八時を過ぎてから心配になってかけてきたのだろう。
 居間のほうに目を移すと、麻耶が開いたガラス戸の端に寄りかかっているのが見えた。 逆光で顔は定かでないが、姿全体に寂しさがにじんでいるように感じられた。




表紙 目次文頭前頁次頁
背景:硝子細工の森
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送