表紙

水晶の風 56


 和基が反応する前に、悠香が先回りした。
「あやまって済むなら警察は要らないよね。 ただね、私が合田さんに迷惑かけることはないと思う。 もう捕まったりしないから。 瓜川のおばさん、町出ていく前に訴状を取り下げたの」
「そうなのか?」
 知らなかった和基はびっくりした。
「うん、そういう風に持ってったんだ。 火事のせいで相当びびってたから、泥棒を追いつめすぎて逆切れで殺されちゃったらどうするのって言ってやった。 そしたらとたんに警察に飛んでって、よく調べてみたら、引き出しに入れといた小銭を取られただけだったから、もういいって。
 現金はほんとそうだった。 五千円とちょっとしかなかった。 陶器とかのコレクションには手出してないしね。
 まさか、恐喝の材料盗まれた、なんて言えないもんね」
「強請った金はどこへ隠してたのかな」
「さあ。 立派な金庫持ってたけど、あれはたぶんごまかしだろうと思う。 外国の銀行にでも預けてたんじゃない?」
 恐らくそんなところだろう、と和基も思った。
「じゃ、もう事件は成立しないんだ」
「そう。 瓜川のママは県外へ引越してった。 私にだけは新しい店を教えてくれたよ。 気が向いたらまた働きにおいでって」
「なんでそんなに、君だけは信用してるんだ?」
 姉の麻耶をあれほど憎んでいるのに。 その点が、和基には最も不思議だった。
 一呼吸置いて、悠香は答えた。
「それはたぶん、瓜川のママが友情とか優しさとか全然信じていないから。 私が、世話になった麻耶ちゃんを妬んで裏切るのを当然だと思ってた。 本能に正直でかっこいいって」
 人は、自分の内面にあるものしか理解できないのだろう。 愛情という接着剤を持たず、相手の弱みを狙って生きてきた瓜川は、気がつけば回り中を敵にしていた。
 そんな瓜川が、同類だと思った悠香だけを信じているのは、何という皮肉だろうか。 そして、うまく立ち回って信じさせた悠香は、何という演技力か。 ひょっとすると、瓜川より悠香のほうが、ある意味ワルなのかもしれないと、和基はふと思った。
「火事のとき助けてもらったから、余計頼りにしてるんだろうな」
「あれはほんと危機一髪だった。 まだ犯人は捕まってないけど、やっぱり恐喝されてた人かなあ」
「たぶんな。 腹いせもあったかもしれないが、キープしたボトルの名札を燃やしたかったんじゃないか?」
「あ、そうか。 強請られてたっていう証拠を消したかったんだね」
 そのとき、ドアが遠慮がちにノックされた。
「和基? お母さん帰るね。 もうこんな時間だから」
 急いで電話に手で蓋をして、和基は呼び返した。
「あ、五分だけ待って! 送っていくよ」
 電話に戻ると、悠香は気を揉んでいた。
「ごめん。 長電話しすぎた」
「いいんだ。 いろいろよくわかった。 今夜お姉さんに電話するよ」
「えっ?」
 悠香の声が弾けた。
「ほんと?」
「ああ、何時ごろがいいかな」
「何時でも! ああっと、八時過ぎならいつでも」
「わかった」
 呼吸を整えてから、和基は静かに言った。
「良かったよ。 君がかけてきてくれて」




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