表紙

水晶の風 55


 電話を持った手が汗ばんできて、和基は再び持ち替えた。
 利用されていたと悟った瞬間の虚しさ、悔しさが、ずっと心の底に灰色のおりとなって溜まっていた。 しかし、悠香の打ち明け話を聞いているうちに、暗い感情は潮が引くように薄れ、代わりに楽しかった思い出が驚くほど活き活きと蘇ってきた。
 和基が沈黙を守っているので、不安になったらしい。 悠香の声がぼやけた。
「うーんと……迷惑だった? 今更こんなこと言われても、他に好きな人できたとか」
「いや」
 早口で、和基は答えた。 だが、後が続かなかった。
 またしばらくの沈黙の後、悠香が探りを入れてきた。
「ねえ、なんで一年も電話通じなかったん?」
 この質問になら答えられた。 半分上の空で、和基は説明した。
「アメリカに派遣されてた。 期間が一年と決まってたから、向こうではプリペイドを買って、使い捨てにしたんだ」
「日本にいなかったの!」
 悠香はすっとんきょうな声になった。
「そうか。 そういうことだったんだ!」
「うん」
「で、今は? 日本に帰ってきてるよね?」
「ああ。 今は横浜」
「横浜なら一時間ちょっとで行ける。 麻耶ちゃん連れてったら、会ってくれる?」
 不意に鼓動が大きくなって耳の奥に響いたので、和基は驚いた。 環境を変えて、月日もそこそこ経って、遠い存在になりかけていると思っていたのは間違いだった。 麻耶はまだ、そこにいた。 和基の中枢に、深くしっかりと彫りこまれていた。
 でき得る限り無表情に、和基は答えた。
「麻耶さん来たくないんじゃないか? 俺、挨拶もなしでいなくなったから」
「だからピンときたんだって。 怒ってる、すべてバレてるって!
 何か言い残されるより、ずっと怖かったよ。 麻耶ちゃん落ち込んでた。 もっと早く、全部打ち明けるつもりだったから。 それを止めてたのは私。 だからね……ごめんなさい」
 素直にあやまられるとは思わなかった。 和基は面食らった。




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