表紙

水晶の風 47


 和基が戻ってから一時間ぐらいして、父が外出から帰ってきた。 眼鏡の度が合わなくなったので、買いに出かけていたそうだ。
「なんか目が疲れると思ったらさ、老眼が進んでたんだよ」
「老化が早いんじゃない?」
「お、お前だってすぐそうなるぞ。 細かい字ばかり読む仕事だから」
 こうやっていると、父が現職の裁判官とは思えない。 ただの冴えない中高年に見える。 妻の故郷である愛知に落ち着いてしまった兄の代わりに、俺が父の傍に住むべきだな、と、和基は責任のようなものを感じた。

 翌日の昼下がり、茂紀一家は賑やかにやってきた。 静かなわりに子供受けする和基は、さっそく上の子、彰太〔しょうた〕にゲーム機を押しつけられ、大型テレビの前で奮闘する羽目になった。 茂紀は結婚が遅かったので、二人の子供はまだ五歳と二歳にしかなっていなかった。

 夜も十時を過ぎ、子供たちが寝付いて、やっと大人の時間が訪れた。 両親、茂紀と秀美夫妻、それに和基はリビングに落ち着き、なごやかにチューハイを飲んでいた。
 それぞれの近況報告やちょっとした愚痴などを話し終わると、茂紀が、だらんと寄りかかっていたソファーから身を起こして、和基に話しかけた。
「和基さ、留学申込まないか? 桜川が推薦してくれるっていうんだ」
 和基はグラスをテーブルに置き、十二も年の離れた兄の熱心な顔を、無言で見上げた。 茂紀はじれったそうに言った。
「お前おとなしいけど結構切れるって桜川は言ってたぞ。 もっと自分を押し出せ。 上を目指せよ」
 上っていうより、横に動きたい――そのとき、和基は不意に思った。 どこでもいい。 日本の別天地でもいいんだが、ともかく伏木の町から離れたい。
「そうだね。 やってみようか」
 日頃野心に乏しい弟が、珍しく話に乗ってきたので、茂紀は喜んだ。
「そうそう。 若さはギラギラだ。 厚かましいぐらいに動かなきゃ、運はやってこない」
「そういうアブラギッシュなのは苦手で」
「あー懐かしい死語だ!」
 陽気な秀美が、酒のお代わりを自分のグラスにつぎながら、くすくす笑った。



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