表紙

水晶の風 42


 午後に、和基が田宮検事との打ち合わせから戻ってくると、中西が面白そうに話しかけてきた。
「さっき下で情報仕入れたんですけど、瓜川たまきがここから出ていくそうですよ」
「出ていくって、引っ越すってことですか?」
「そのようです。 放火魔のいるこんな怖い町にはもう住めないって言ってるらしいですよ」
「放火魔? あの辺ではスナック・ラブリーしか放火されてませんが」
 中西はくすくす笑った。
「やっぱり火付けの犯人に心当たりあるんじゃないですか? 手ごわい相手なんでしょうね。 あんな強いおばさんから見ても」
 うなずいて、和基はデスクにつき、田宮から渡された書類に目を通したが、やがて心は別空間に飛んでしまった。
――殺されかけても犯人を名指しできず、こそこそ逃げ出す、か……。 あの女らしくないな、確かに。
 相手は闇世界の人間か? いや、そうなら出火直後に逃げるだろう。 暴力団に脅されていたという目撃談はないし。
 もう一つ考えられるのは、放火犯が瓜川に恐喝されていた被害者だった場合だ。 その男が瓜川家に盗みに入り、恐喝の材料を見つけようとして失敗したとしたら。 で、いっそ瓜川を殺してしまおうと……いや、それはまずい。 恐喝のネタは残ったままだ。 遺族か警察が見つけだしたら元も子もない――
 どうも推理がしっくり来ない。 何かを見逃している気がしたが、思い当たらなかった。


 六時には、もう和基は上野布駅に降り立っていた。 一分でも早く麻耶に会いたくて仕方がない。 約束の時間にはまだ大分あるが、他所で時間をつぶさずに、まっすぐ菱野家を目指した。
 しかし、見慣れた門に近づくと、ぎょっとして足が遅くなった。
 塀の横に、赤いスポーツカーが停まっている!

 それは確かに、以前見たフェラーリだった。 つまり、瓜川たまきの車だ。 中には誰も乗っていないから、屋敷を訪れてきたとしか思えなかった。
 よりにもよって、今日この時間帯に来なくても――和基は舌打ちしたくなった。 不良妹の悠香を迎えに来たのだろうか。 それとも別の用件か。
 これなら時間つぶしをしてきたほうがよかった、と思いつつ、和基は車の横を通り過ぎようとした。
 そのとき、珍しく開いたままの通用口から、妙なものが見えた。 悠香だ。 自分の家なのに、彼女は抜き足差し足で、用心しながら中庭に忍び込もうとしていた。



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