表紙

水晶の風 41


 恋をすると、ある意味子供に還るような気がする。 別れるとき不安になり、何度も何度も相手を確かめ、念を押したくなる。 またね、また明日会おうな、絶対忘れるなよ、と繰り返す遊び仲間のように。
 一言口に出すたびに、和基は麻耶の顔のまだ触れていない個所を探して唇を押し当てた。
「明日」
「ん?」
「絶対会って」
「ええと」
「何時でもいい」
「うん……」
「ちょっとでもいいから」
 しっかりとまとっていた社会人という心の殻が、音もなく割れて、中からやんちゃで寂しがりの次男坊が飛び出そうとしていた。  それでもなんとか自分を抑えて、和基は声を明るくした。
「また一緒に食事しよう。 それならどう?」
 両手を彼の胸にそっと置いて、麻耶は少し考えていた。 やがて上げた眼は、雨上がりの空にまたたく星のように淡くにじんで輝いていた。
「食事の後もずっと一緒がいいな」
 言った後、照れてまばたきしたのが胸にズンと来た。 かわいくて、和基は思わず力一杯麻耶を抱き寄せてしまった。
「じゃね、明日の夜七時に、ここで。 早すぎる?」
「仕事あっても飛んで帰ってくる」
「私も」
「じゃ……おやすみ」
「おやすみなさい」
 長いキスの後、二人はようやく腕を離した。 一人は道を歩いていき、もう一人はしばらくその後ろ姿を見送った。
 角の所で、和基は振り返って見た。 ちょうどそのとき、麻耶は玄関のほうに向きを変えて入ろうとしているところだったが、彼の動きに気付いて体を回し、肩のところで小さく手を振った。
 和基も手を上げて応えた。 そしてジェスチャーで、もう中へ入ってと伝えた。
 麻耶はうなずき、門をくぐってからもう一度手を振って、扉を閉めた。 和基は、彼女が家に向かって歩いていくところを想像して、少しの間立ったままでいた。


 翌日、宙に浮いた気分で出勤すると、どかっと調書の束を渡された。 こそ泥と常習痴漢、それに集団での万引き。 小さな事件ばかりだが、丁寧に見ていくと、それなりに頭が疲れた。
 和基は、気分転換に立ち上がり、サイドテーブルへ行って、自分でコーヒーを入れ始めた。 横目でその様子を捉えた中西が、慌てて席を立った。
「私がやりますよ」
「いえ、気にしないでください。 中西さんも飲みます?」
「あ、ええと、それじゃアメリカンなのを一杯」
 アメリカンな頭を振って、中西は嬉しそうに答えた。



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