表紙

水晶の風 40


「私が気きかないから、あの子に迷惑かけてるなと思う」
「はあ?」
 謙虚なのはいいが、ここまで言われると自分ってものがないんじゃないかと、和基は歯がゆくてしかたがなかった。
「遺言書なんか信用できない、もっと財産分けしろって、勝手なこと言ってるのに?」
「財産といっても不動産しかないけどね。 それも今はたぶん底値で、売ったらそれまでだし」
「あ、そうか。 それで僕を追っ払おうとしてるんだ、彼女は」
 和基はようやく思い当たった。
「法律の専門家で、君に有利に動くと思って」
「それもある、と思う」
 やっともやもやに説明がついて、和基は胸を反らした。
「追っ払えないよ。 妹さんに言っといて。 僕は立ち位置を譲らないからって」
「立ち位置?」
「うん、ここ」
 そう言うと、和基は麻耶のすぐ横を指差した。


 いくらゆっくり歩いても、視野に入っている門は次第に近づいてくる。 小さな門灯は点っていたが、古い建物はしんとして、どの窓にも光が見えず、誰もいないように思えた。
 側溝の前で立ち止まり、麻耶はつないでいる手を一回大きく振った。
「おやすみなさい」
「待って」
 和基は素早く囁き、不意に体を倒して唇を軽く触れ合わせた。
 ごく僅か、かすめただけだ。 だが、突然やるのが大切なことだった。 とっさに相手がどんな反応を示すか、これで本心がわかるからだ。
 麻耶は動かなかった。 はっとしたらしいが、まったく避ける気配を見せず、どっちかと言うと、ぼんやりしていた。
 気がつかなかったんじゃないかと思うほど、無反応だった。 どうでもよかったのかな、と和基はいくらかがっかりした。
 だが、彼の顔が離れかけたとたん、麻耶は生き返ったようになった。 彼の胸にふわっと体を預け、手を伸ばして頬に触れた。
 指先は冷たかったが、手のひらはほんのりと温かかった。 顎の線をたどりながら、麻耶は内緒話のように囁いた。
「伸びかけてる。 ちょっとザラッとしてる」
「朝早かったから」
「なんか……さわり心地いい」
 和基はそれ以上我慢できなくなった。 細い手首をそっと捉えて下に下ろすと、背中に両腕を回して、激しくキスを求めた。



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